2015年6月24日水曜日

弁護士らしくない話し(其の7)

 高校で勉強する古文、平家物語巻第九の中に宇治川の先陣というのがありました。佐々木四郎高綱と梶原源太景季の争いです。
 平家物語ですから、平氏と源氏の合戦かと言えば、さにあらず、先に京に入った木曽義仲軍と後から京を目指した鎌倉軍との戦さが宇治川を挟んでありました。九郎義経の初陣でもあったとか。

 宇治と言えば、京の巽(辰巳)の方角、つまり南南東。
 六歌仙の一人である喜撰法師の歌が有名。
「わが庵(いほ)は 都の辰巳(たつみ) しかぞ住む
  世をうぢ山と 人はいふなり」

 源氏物語の宇治十帖の、宿木、浮舟の地。
 思い立って、瀬田の唐橋から宇治まで歩くことにしました。
 平家物語の合戦の後、130年余りを経て、承久の乱の折りも宇治川の合戦があったことを知りました。
 東山道を経て、近江から京に入る際には、西進して逢坂山を越える以外に、大軍なればこそ、南へ迂回して、瀬田川沿いに宇治川を経由して、南へ、西へ、北へ京を目指すという進路があったということ。
 只今の道路で言えば、国道1号線から岐れて瀬田川沿いに国道422号線に入り、立木観音の参道の下辺り鹿跳(ししとび)橋から府道3号に岐れ、名を変えて宇治川となった流れに沿って西進するものです。宇治橋までが府道3号。
 約5時間半で踏破しましたが、府道3号線沿いには、天ケ瀬ダムの見学所を除き、飲料の自動販売機は皆無。
 サイクリストは多数見掛けたものの、歩行者も皆無。
 それでも京と宇治の位置関係、宇治川の上流がよく分かった半日でした。

 全長約25㎞。古代の駅逓なれば、辛くも馬を替えずに行く、1単位のよう。

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