2017年9月1日金曜日

弁護士らしくない話し(其の22)

お盆の夏休みに信州を旅しました
 
信州を訪ねましたが、山登り以外を目的としたのは初めてに近いものでした。
 神戸から高速道を行くも、中津川から国道19号線を辿りました。
 茨木・京都間と草津・粟東間の渋滞にも巻き込まれました。
 
 鳥居トンネルを過ぎ塩尻峠を越えて、松本平へ。
 木曽福島の町並みを眺め、国宝の現存木造天守閣の松本城の近くながら、これまで訪れる機会の無かった旧開智学校を尋ねました。
 カーナビで開智小学校と入力したところ、ヒットして向かったのですが、現地には、今様の校舎があるばかり。慌てて「旧」と入れて辿り着きました。
「擬洋風建物」ということで、明治の大工の棟梁が見様見真似で造ったものとか。正面玄関には、「龍と2人の天使」という何ともミスマッチのような装飾。
 それでも建物の1階、2階を見て行くと、文字通り明治の人達の熱い意気込みが強く感じられる展示が多々有りました。
 このような洋風、擬洋風の校舎を全く新しく設けて、学校教育を推進したのは、鹿児島県出身、薩摩藩出身者の官吏であった、というのは、今更乍らの驚きでした。
 安曇野のペンション、元JASのパイロットが退職をしてやっているという宿に泊りました。二十有余年、間もなく三十年か・・・という年季の入ったペンションでした。
 24時間温泉に入ることが出来るというのが売り物、魅力でした。
 
 翌日は、美ヶ原高原、最高地点の王ヶ頭、王ヶ鼻を訪れ、急変する空模様にあれよあれよ・・・でした。夕には、岩崎ちひろ(知弘)の美術館、公園に行ったところ、文字通り千客万来の大賑いに改めて感動、感心しました。
 
 三日目は、善光寺まで足を延ばし、その賑わいを痛感しました。門前町というのは、これまでも幾つか訪れていますが、長野市は、文字通り、その北の斜面の裾と言うべきか、盆地の端と評すべきか、善光寺の門前に広けた大門前町であることを改めて強く認識しました。松本では、さ程感じなかったのですが、長野の人達の言葉は、正に東日本のものとも聞き取りました。
 
 長野・善光寺への道中では、姨捨の田毎の月の眺める公園に寄り、長野からの帰途では、川中島古戦場、信玄・謙信一騎討ち、三太刀七太刀の像なるものを真近に眺めていました。どうも作者は明示されていない様子です、近時の作ながら。
 その後、往路とは違って長野自動車道を使わず、大町をかすめて松本を目指したところ、渋滞に巻き込まれ、ホウホウの体・・・
 
 四日目は、鬼無里を経由して、戸隠神社を目指し、山越えドライブを堪能。戸隠中社から戸隠奥社の随神門までを小走りで往復、中社門前のうずら屋のソバを試したかったものの、10時に予約をしても13時半ころになる見込み・・・と言われて、スゴスゴと退却。
 
 今年は、特に豪雨が頻りであった信濃町のJCから上信越自動車道に入り、北陸道、名神道を経て帰神。走行距離は、千㎞を上回りました。
 
 ともかく信濃の国は、大きな国であり、些か遥けき国でもありました、今更乍ら。

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