2018年12月20日木曜日

弁護士らしい話し(其の32)


最近の地方裁判所と家庭裁判所の事件数

 最高裁判所の事務総局という部署から、「裁判所データブック2018」が去る10月に刊行されています。

 
 これを仔細に見て行くと興味深いところが色〻と有ります。
 地方裁判所での民事の通常事件での「新受」、つまり、一年間に新たに申し立てられた事件数は、平成21(2013)年にPeak-Outした模様。Peakは、23万5千件!
 それが平成29(2017)年では、14万6千件。Peak時の62%余の数字。
 平成16(2004)年4月には、人事訴訟事件が地方裁判所から家庭裁判所に移管されたという特異な経緯がありましたが、それでもなお5年余は事件数は増え続けたものの、Peak-Outした後は、直近、平成29(2017)年の数値は、その20年前の平成9(1997)年のそれに近いもの。

 
 その一方で、新たに弁護士となった人達の員数は、平成5(1993)年までは、年間で3百名台、次いで、平成17(2005)年まで、順次1年毎に4百人→5百人→6百人→7百人→8百人→9百人と漸増し、平成18(2006)年には1254名も!
 かくて、良くも悪くも、弁護士は、裁判以外の分野に進出して行き、その広告、売り込みも激しくなり、一方で、タレントと見紛ふような御仁も数多・・・
 そして、甚だ残念乍らも、クライアントとの金銭を巡ってのトラブルも往〻耳にするところとなり果てつつ・・・

   ところで、只今の時代、増加一方の事件類型は、家庭裁判所における、夫婦間、相続人間のトラブルの模様。その件数は、平成15(2003)年以降、年間13万~14万件の調停事件がドーッと押し寄せている状況。
 これらは1年間の新受事件の件数であるところ、これらと略同数の既済、つまり裁判所で一応の結論が出された事件があるところ、その結論の状況は、半数強が調停成立とされる一方、4分の1程のケースは落着出来ず・・・と知られるところ。

 以上が「裁判所データブック2018」から知られる、通常の民事事件・家事事件のラフ・スケッチです。
 

2018年12月19日水曜日

弁護士らしい話し(其の31)


1214日の横浜地裁の判決-東名あおり運転事件-

「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」(自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律第2条第4号)に当て嵌まるかどうかが問題になりました。
 
 あおる、煽る、という言葉は、他動詞であって、「風や火の勢いで物を動かす」と第一義的にはされています(広辞苑)。
 その中で、二番目以降、三番目に「そそのかす」「煽動する」の意とされています。
 
 そして、法律家の世界では、公務員の争議行為の禁止に関連して、争議行為・怠業的行為をそそのかし若しくはあおってはならない、という罰則付の規定をめぐって、昔(昭和40年代ですから、半世紀も前)によく問題となり、言葉自体、それなりに知られていたものでした。
 
 が、只今、問題となっている「あおり運転」なるものは、果たしてどこまで言葉、概念として確立しているものかどうか、疑問です。
 そして、具体的な罰則としては、「危険運転致死傷罪」の適用が問題となるばかりです。
 道路交通法に、あおり運転という定義なり、概念が規定されている訳ではありません。
 典型的なものは、「車間距離の不保持」であって、これは道交法119条1項1号の4や120条1項2号に罰則があります。
 が、ともかく今回問題となったのは、危険運転致死傷罪の成否です。

 
 ところで、平成25年以前は、交通死亡事件等について、罰則としては、刑法の業務上過失致死罪の成否が問題とされていました。
 その後、平成25年に法改正があり、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(平成25年法律6号)というものが出来て、「危険運転致死傷罪」と「過失運転致死傷罪」とに大別されました。

 そして、今回のケースで問題となったのは、同法2条4号の「・・・走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の・・・車に著しく接近し・・・自動車を運転する行為」という定義(「構成要件」と言いますが)の「運転する行為」に該当するかどうか?であったようです。

 
 事故が発生した瞬間は、被告人は、クルマの運転をしていなかったから、危険運転致死は成立するべくもない、というのが弁護人側の主張でした。
 一方、検察側は、「高速道路上での停車」を問題にして、停車もあおりに当たる、としたようですが、裁判所は、これは認めず、そこに至る「一連の行為」をあおり運転と認定し、停車と追突、死亡との密接関連性を認め、一体として成立を認定したようです。

 一法曹としての感想としては、検察の主張、つまり高速道路上での停車は、一般的には、自らに危険を招く行為であって、他者に危険を招来するかどうかは、それこそ状況次第と思われます。
 刑罰を以て禁圧しようとする法律の規定の、解釈、適用は、ある意味予測可能な、また、合理的なものであるべきです。
 趣旨としては、一緒だから・・・というような考え方は原則として排除されるべきです。
 であってみれば、停車が他車に直ちに危険を招くから、犯罪成立!?というのではなく、今回の判決で述べたように、被告人の行為は、前後一連の総体において、犯罪が成立する、とでも言う外なかったように思われます。

 尤も、4号が「運転する行為」としているのに対し、停車させたばかりで運転していない、というのも団子理屈・・・
 追っ付け、刑事法の専門家諸氏が必ずや活発に議論を展開する筈ですので、乞う御期待というところでしょうか。
 
 一方で、「高速道路上での停車」を危険運転行為とする法改正が行なわれるような話しも現に有るようです。

2018年12月17日月曜日

弁護士らしい話し(其の30)


司法取引と弁護人の立会権

 司法取引というものは、英米法系の法概念のようです。
 司法取引は、米語では、名詞では、Plea Bargaining、動詞として、司法取引をする、というのは、plea-bargainと表現します。
 bargain、この言葉の元〻の意味は、交易、取引を指したようです。
 我が国では、バーゲン・セール、安売り、見切り販売を指しますが、英語のBarが法廷を指すこともあることから、これは刑の量刑の叩き売りではない筈です。
 しかし、それでもplea-bargainというのは意味深です。
 ところで、英語で法廷を意味するBarは、仕切り柵としてのBarがあることから生まれた言葉と言われています。
 Bargainは、このBarGainとの合併語と思いきや、語源、詳細は不明であるが、ともかくこの一語は、もともとは契約の意味で、後に安い買物、特売品を指称するようになったとのこと(語義語源辞典に拠れば)。

 扨、今話題の司法取引は、刑事訴訟法350条の2が次のように規定していることに拠ります。

「検察官は、特定犯罪に係る事件の被疑者又は被告人が特定犯罪に係る他人の刑事事件(以下単に「他人の刑事事件」という。)について1又は2以上の第1号に掲げる行為をすることにより得られる証拠の重要性、関係する犯罪の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者又は被告人との間で、被疑者又は被告人が当該他人の刑事事件について1又は2以上の同号に掲げる行為をし、かつ、検察官が被疑者又は被告人の当該事件について1又は2以上の第2号に掲げる行為をすることを内容とする合意をすることができる。
1 次に掲げる行為
イ「被疑者の出頭要求・取調べ」又は「第三者の任意出頭・取調べ、鑑定等の嘱託」による検察官、検察事務官又は司法警察職員の取調べに際して真実の供述をすること。
ロ 証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること。
ハ 検察官、検察事務官又は司法警察職員による証拠の収集に関し、証拠の提出その他の必要な協力をすること(イ及びロに掲げるものを除く。)。
2 次に掲げる行為
イ 公訴を提起しないこと。
ロ 公訴を取り消すこと。
ハ 特定の訴因及び罰条により公訴を提起し、又はこれを維持すること。
ニ 特定の訴因若しくは罰条の追加若しくは撤回又は特定の訴因若しくは罰条への変更を請求すること。
ホ「最終弁論」による意見の陳述において、被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること。
ヘ 即決裁判手続の申立てをすること。
ト 略式命令の請求をすること。」
「②前項に規定する『特定犯罪』とは、次に掲げる罪(死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たるものを除く。)をいう。」
として、その3号は、次の通り定めています。
「3 前2号に掲げるもののほか、租税に関する法律、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)又は金融商品取引法(昭和23年法律第25号)の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの」

ここに「金融商品取引法(昭和23年法律第25号)の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの」という点が只今話題のもの。政令は、平成30年政令第51号です。

 これに関しては、実務家の意見も岐れ気味のようであって、ある意味、古いタイプ、或は伝統的な法意識の下では、所詮形式犯ではないか・・・という言い方もされている一方で、その及ぼす影響は少なからざるものがあると強く指弾されるべきともされているようです。
 しかし、この事件の余波としては、この捜査は、改めて我が国の刑事司法制度が所謂先進各国の水準からはかなり懸け離れているのではないか・・・という疑問、非難に晒されている点で興味深いところです。
 それは、身柄を拘束された被疑者の取り調べには、弁護士・弁護人の立ち合いを認めるのが世界標準ではないのか!?との指摘です。
 憲法で基本的人権に関する規定は、次の通りです。

31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

 依頼する権利は認めるが、弁護人は、取り調べに立ち会えず、とするのが、只今の我が国の水準です。
 これは、どうも最早先進各国の水準からは、かなり劣後しているように思えてなりません。