2020年3月19日木曜日

弁護士らしくない話し(其の34)

最近読んだ本の話し

 最近読んだ本は、文明の曙としての農耕社会が捉えられているものであり、それが一体何を齎したものか・・・を今更乍らに考えさせて呉れるもの2冊が印象的でありました。

  1)ジェームズ・C・スコット著
   「AGAINST THE GRAIN A Deep History of the Earliest States」
                   (みすず書房、2019年12月刊)
   (邦題:「反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー」)

  2)ジェイムス・スーズマン著
   「AFFLUENCE  WITHOUT ABUNDANCE:
     What We Can Learn from the World's Most Successful Civilisation」
                    (NHK出版、2019年10月刊)
   (邦題:「『本当の豊かさ』はブッシュマンが知っている」)

 1)は、メソポタミアでの農耕社会の始まりをどのように捉えるか?
 穀物栽培は、国家の創生と裏表であり、穀物というものは、その収穫が同時一斉に行なわれ、貯蔵が効くということから、税として取り立てる対象として最適である。
 狩猟社会では、このような形態での税の取り立てということは考えも及ばないところ。
 依って以て、穀物栽培と国家形成とは、表裏一体とのこと。

 そして、これに引き続いて読んだのが、2)のカラハリ砂漠に住むブッシュマンの話し。
 ここでは、採集狩猟社会と牧畜農耕社会と対比する形で生きることが語られています。前者は、腹を空かせることは有るものの、平等な社会。後者は、富の形成と上下関係の有る社会。

 ブッシュマンの社会では、嫉妬、嫉妬心がその社会を平等なものにしているとの分析。この本は、ブッシュマンは、週に十五時間だけ働いて(=採集狩猟に出掛け、口に入る植物や動物を集める)、それで十分にやって来ていた・・・との話しが中心。

 カラハリ砂漠は、その自然環境の過酷さ故に、採集狩猟社会のブッシュマンが新石器時代から今日まで生存することを可能にした、との極めて逆説的な話しが語られています。過酷な環境なるが故に、近代的な他者の侵入を容易には許さず、採集狩猟を専らとするブッシュマンの今日までの生存を可能にした、という話しは真に教訓的でありました。実に逆説的なストーリー乍ら。

 ところで、石器時代というのは、旧石器、中石器、新石器とに三分された、最後の約1万年を示し、その後の古代文明に至るまでのもの。磨製石器が登場、普及し、生産は、牧畜農耕へ移行。土器も多用。我が国では縄文時代に応当するとのこと。
 因に、旧石器時代は、打製石器、骨角器を使用し、生活は、狩猟、漁労と自然物依存の採集。
 そして、中石器時代とは、この中間の打製石器と祖原的な磨製石器や土器が登場する時代とのこと。
 次なる新石器時代において、牧畜農耕社会の今日に至る生活スタイル。

 そこで一体全体何を考えるに至ったか?
 生きるということは仕事をすることと同義・・・という思い込みは、どうやら新石器時代以降の観念であったのか・・・という漸くの気付き。

 毎日額に汗して・・・というのは、縄文以降の農耕社会的発想であったか・・・という今更乍らの再認識!ある意味衝撃!大いなる驚き!!
 生きることと働くことを同義のように考えることは、これまた一ツの判断停止であったのか・・・と俄かに思い始めた・・・という次第。よくよく考えよう!!というところ。

 近時のネット社会の隆勢を傍から眺めていると、真に小憎くたらしいような、人間のフッ!と思い立ったような小さな欲、欲求を掻き立てて、脹れ上がらせ、これを産業化し、新しいビジネスに仕立て上げる手法!?
 これは、欲望を煽り立てているのがネットビジネスである!と喝破、看破する言説も最近では多く見受けるところ。
 ウーバーとか、ネットタクシーとか、メルカリとか・・・これらは、何れも欲望の解放という言葉で括るような気がしつつあります。

 かくて欲望を解放すると如何なるのか?
 満足!大満足!!との大団円か・・・と思いきや、豈図らん也・・・欲望には限りが無く、もっともっと・・・となり、結局自らの手の内にある金銭の乏しさを嘆くことになるのでは・・・

 今少しく含蓄の有る言葉を補足します。

「反穀物の人類史」の著者は、1936年生まれ、イェール大学の政治学部・人類学部教授。著書の冒頭に、「深まるアントロポセンへと向かう孫たちに」として5名の名前を掲げています。
 Anthropoceneとは、人新世(じんしんせい)と訳され、人類が地球の生態系等〻に重大な影響を与する発端・起点として想定された想定上の地質時代を指すものとして使われ始めた用語のようです。地質時代では、これまで新生代に属すると言われて来ていた筈。これに継ぐものとして、用いられ始めています。

 そして、更に献辞としてか、Epigramとしてか、Claude Lévi-Straussの文章を掲げています。
「文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。・・・文字というのは奇妙なものだ。・・・文字の出現に忠実に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位付けである。・・・文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。」

 もう一冊の著者、James Suzman,Ph.D.については、「社会人類学者。南部アフリカの政治経済を専門とする。25年以上、南部アフリカであらゆる主要なブッシュマン・グループとともに暮らし、調査してきた。スマッツ特別研究員としてケンブリッジ大学でアフリカ研究に従事。シンクタンク『アンスロポス(Anthropos)』を設立し、人類学的観点から現代の社会的・経済的問題の解決を図る。ニューヨーク・タイムズ紙でも執筆。本書は2017年度ワシントン・ポスト紙ベストブック50冊および米公共ラジオ局ベストブックに選ばれた」とするばかりで、博士号所有者(英語ならば、哲学博士であろうものの、米語では、博士一般)である外、ネット検索をしても、日本語では、この著書に関する情報のみ。

 そして、この原題は、
 「AFFLUENCE WITHOUT ABUNDANCE:
   What We Can Learn from the World's Most Successful Civilisation」
 (ものに依存しない豊かさ)
  ― 世界一の文明に何を学ぶか ―

 人類史に向かう思想は、異別ながら、通底するものがあったことに驚いています。