2018年1月26日金曜日

弁護士らしくない話し(其の24)


生き死にの話し



 生き死にの問題・・・
 これはどうもこれまで公然と語ることはタブーであった模様。少なくとも、人前で一般的には語らないというが黙契であった様子。
 我ら団塊の世代が年金世代となり、2050年以降、我が国の人口は激減することは必至。就活、婚活、終活・・・と。
 若干前からEnding Noteを予め記しておくべしとの声は有ったものの、これはどうも専ら送る側に立って、残された者が困らないように・・・との要求が背景にあったと窺われます。

 扨、昨年には、地獄極楽の絵図の展示が活況を呈しているとのことで、足を運んで熟々眺めました(7~9月、奈良国立博物館)。恵心僧都源信(9421017)の著した「往生要集」の世界です(昨年は丁度千年忌)
 地獄と言えば、ダンテ(12651321)の「神曲」が世界的には有名ですが、その生存時期は、源信の方が凡そ三百年先じています。

 仏語(フランス語であって、仏教語に非ず)では、死のことをmort(モーる)と言い、
           死すべき者     mortel
           死すべからざる者 immortelとを、
人間と神とに振り分け、使っているとのことがシラー(17591805)の「群盗」の初めの部分で述べられていたと記憶。
 とにもかくにも、人は死すべき存在であり、このことは古来から人にとって最大最重要なテーマであった筈のところ、近代以降の医学の発展の結果、このテーマから人は遠去かって日常生活を送ることが原則のように転じた模様。

 とにもかくにも生き死にの問題が肝要であり、結局絶対に避けて通れない問題、全ての人が辿る途であり、その先の関門・・・

 にも拘わらず、生きる為の手立てであるところの、金を稼ぐことに狂奔し、その道具の金に鼻面を引き回されるという為体。
 特に、倹約を美徳と煽られ、勤倹に励んで来た我ら日本人は、結局、自らは遣い切れぬ金を子らに残して、子らをSpoilすることに・・・嗚呼・・・ 

 よく生き、よく死に、そして、見事に金を遣いたいところです。全部を遣い切っては困るとしても・・・

2018年1月11日木曜日

弁護士らしくない話し(其の23)


本を読むということ

 これまでも、これからも、趣味は?と問われ、読書!という答えはしない、としています。
 その理由は、肉体(フィジカル)を維持するには、飲食を必要とし、精神(メンタル)を鍛え、伸ばすには、ヒトの記した本を読むことは不可欠と考えているからです。
 メシを喰うように、本を読むことは、ヒトが生きるということに必須と思っています。
 然るに、件の大統領は、本を読まないことが恰も自慢の様・・・

 扨、丁寧に記録を取るようになったのは、ここ30年程の期間ですが、大体年間百冊は読んでいます。
 買ったまま「積んどく」になっているものは、その倍くらいに上ぼろうかと思われます。
 近々目から鱗であったのは、今流行りのDiversity、自然界における生物多様性が何が故に必要不可欠なものであるか?ということを気付かせて呉れた次の2冊です。
 人類、ホモサピエンスという種が今後も生き残ってゆく為には、この多様性は不可欠の筈ということに気付かされました。



 また、齢六十を超えて、根気なり、集中力なりを要する作業が億劫になりつつある一方で、古典に属する分厚い本を読むことが意外にも苦にならないことです。
 島尾敏雄の「死の棘」というのは、夫婦の諍いを延々600頁余も書き綴った、私小説です。これまで二度、三度挫折していましたが、関連する文献と言うか、読み物、書籍と読み比べるつもりになって、漸く読破することが出来ました。

 読み比べたのは、次の3冊でした。



 更に、追い駆けて、妻の島尾ミホの短編集「海辺の生と死」(中公文庫 1987(62)年 全239頁)(元々は、1974(49)年 創樹社刊)を読むと、夫の島尾敏雄の私小説「死の棘」の様相、感想が又々ガラリッと一転したような印象です。


 事実も、印象も、正に人それぞれであり、人の数だけ真実が有るような気がしました。