生き死にの話し
生き死にの問題・・・
これはどうもこれまで公然と語ることはタブーであった模様。少なくとも、人前で一般的には語らないというが黙契であった様子。我ら団塊の世代が年金世代となり、2050年以降、我が国の人口は激減することは必至。就活、婚活、終活・・・と。
若干前からEnding Noteを予め記しておくべしとの声は有ったものの、これはどうも専ら送る側に立って、残された者が困らないように・・・との要求が背景にあったと窺われます。
扨、昨年には、地獄極楽の絵図の展示が活況を呈しているとのことで、足を運んで熟々眺めました(7~9月、奈良国立博物館)。恵心僧都源信(942~1017)の著した「往生要集」の世界です(昨年は丁度千年忌)
地獄と言えば、ダンテ(1265~1321)の「神曲」が世界的には有名ですが、その生存時期は、源信の方が凡そ三百年先じています。
仏語(フランス語であって、仏教語に非ず)では、死のことをmort(モーる)と言い、
死すべき者 mortelと
死すべからざる者 immortelとを、
人間と神とに振り分け、使っているとのことがシラー(1759~1805)の「群盗」の初めの部分で述べられていたと記憶。
とにもかくにも、人は死すべき存在であり、このことは古来から人にとって最大最重要なテーマであった筈のところ、近代以降の医学の発展の結果、このテーマから人は遠去かって日常生活を送ることが原則のように転じた模様。
とにもかくにも生き死にの問題が肝要であり、結局絶対に避けて通れない問題、全ての人が辿る途であり、その先の関門・・・
にも拘わらず、生きる為の手立てであるところの、金を稼ぐことに狂奔し、その道具の金に鼻面を引き回されるという為体。
特に、倹約を美徳と煽られ、勤倹に励んで来た我ら日本人は、結局、自らは遣い切れぬ金を子らに残して、子らをSpoilすることに・・・嗚呼・・・
よく生き、よく死に、そして、見事に金を遣いたいところです。全部を遣い切っては困るとしても・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿