2020年12月24日木曜日

弁護士らしい話し(其の38)

新型コロナウイルス禍のこと

-本当に高齢者の死亡率が高くなっているのか?—


 大阪大学大学院法学研究の特任教授を10年間務めていた際の同僚の一人に、O教授がおられます。

 O教授は、労働法・労使関係専攻で、且つ、内閣の規制改革委員会の参与等を歴任した人物であって、加えて国立大学の法人化の前後を通じて8年間国立大学における人事労務の現場で実務に携ったという学者ばかりではない、労務の現場を踏まえた極めてAggressiveな研究者であって、日頃からその説かれるところを興味深く傾聴しているところです。

 O教授は、只今は、私立大学へ移られていますが、「現場からみた労働法」というテーマで発信を続けておられるところ、近時は、「数値を読み解く」というテーマを掲げ、各種の労働環境に関する数値を文字通り丁寧に読み解くべきことを粘り強く説いておられます。

 この中で、去る8月に「新型コロナウイルス感染症対策分科会」に、次のような8月時点の死亡者数の百分率が提出されたとのこと。

10代以下  0人( 0.0%)

20代    1人( 0.1%)

30代    4人( 0.4%)

40代    14人( 1.3%)

50代    40人( 3.6%)

60代   114人(10.3%)

70代   302人(27.3%)

80代以上 626人(58.5%)

 しかし、厚労省の2019年の「人口動態統計月報年計(概数)」に拠れば、70代以上の者が死亡者全体に占める割合は、総数1381098人のうち、その85.0%の1174317人とのこと。

 依って以て、新型コロナウイルス感染に限って高齢者の死亡率が特に高くなっている訳ではない、と紹介。

 改めて考えを巡らせると、2020年の死亡者の総計が明らかにならない限り、ともかく高齢者に特に致命的である・・・というのは、確かに如何なものか・・・

 ともかく関心の高さと正確な情報の少なさとが、とかくの言説を流布する温床であることは、社会心理学的には定説の筈!と改めて再認識したところです。

2020年7月6日月曜日

弁護士らしい話し(其の37)


我が国の社会福祉と合衆国の失業保険


我が国の福祉政策は、北欧流の高度福祉国家ではなく、また、合衆国のような低度福祉国家でもない、というような言い方がされていたように記憶。

 福祉政策の財源とされている消費税の税率を捉えて、北欧では、20%以上である一方、我が国では漸く10%。
 今回、この話し、よくよく丁寧に確認して行くべしと考え始めたのは、雇用保険、その中で中心となる失業保険の給付レベルの多寡が気になり始めたことが契機。
 そして、更に、この動機を後押ししたのは、去る5月24日の朝日新聞の次のような投書。

休業手当 金額に目を疑った
・・・休業手当って「平均賃金の6割」以上出ると聞いていたので8640円の6割=1日5184円は出ると思っていた。だが、労働基準法の1日平均賃金の計算方法は、直近3カ月の額面収入÷3カ月の休みも入れた日数、とややこしい。私の場合、1~3月の約53万2千円を91日で割る。約5840円。その6割は約3500円で明細と合う。


 この話しが間違い無いものか?と労働基準法26条(休業手当)「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の100分の60以上の手当を支払わなければならない。」との規定について、その算式について、政令、規則は具体的にどのようになっているのか?と「労働法全書」(労働行政研究所編)に当たって見たところ、法レベルの規定の次には、行政解釈が有るばかり。

 そして、その翌日5月25日の朝日新聞の生活欄には、今度は、次のような見出しの記事が掲載。
「休業手当『賃金の6割以上』では?」
「働く予定だった日数分を支給『実質4割しか』」
「多くの人生活できぬ水準」


 具体的には、前述の3か月の日数の「91日で割る」そして、「その6割」に「休日を除いた予定労働日数」、例えば、62(日)を乗じる、ということになっています。
 すると、0.6×62910.4強の日額に!

 ところで、Fireという英語は、真に多義に用いられる様子。
 名詞では、火、火事、情熱、炎症、苦難、射撃。
 動詞では、点火する、解雇する・・・

 かの合衆国大統領の発言では、この最後のFire!馘首!が有名。
 そして、彼の国では、解雇・馘首は、我が国のように厳格には規制されていないと知られるところ。
 嘗ては、労働基準法19条(解雇制限)、20条(解雇の予告)をめぐって蓄積されて来た多数の裁判例は、平成19(2007)年には、労働契約法という実定法の形に整えられ、その第16条は、次のように明規!
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

 これに対し、記憶するところでは、我が国に進出して来た大手家庭用品メーカは、人事問題、解雇問題で、以前には、よく訴訟沙汰になり、徹底的に争っていたことを記憶。

 かくて、合衆国のイメージは、金持ちの国、労働者に厳しい国・・・という労働法的には、我が国よりも後進か・・・との漠然とした思い・・・

 所謂失業保険のケアも、我が国よりは劣後しているのだろう・・・と思っていたところ、改めてその制度について調べ始めると、それは正当な認識ではなかった模様。
 つまり、合衆国の失業保険は、専ら使用者側に税として課せられた原資に依って営まれているとのこと。
 そして、その税についても、州税と連邦税とが有ります。

「合衆国の失業保険」の特徴は、2016年の独立行政法人労働政策研究・研修機構の「米国の失業保険制度(全47頁)」のレポートに拠れば、概略次の通り。

 米国の失業保険は、全額が使用者負担。

 失業保険の運用や財政は、州政府の裁量に任され、財務状況が悪化すれば、連邦政府から有利子で貸与がされます。

 失業保険は、連邦失業税と州失業税を財源とし、原則として、州失業税によって賄われる、州失業税は、殆どの州で使用者のみが負担します(3州を除き)。

 一方、連邦失業税の対象となる事業主は当該年または前年のいずれかの年に、1 人以上の労働者を暦年で20週以上雇用する事業主、または、当該年または前年のいずれかの四半期に合計1500ドル以上の賃金を支払った事業主です。

 一方、失業保険の給付については、20082013年にては、
通常の失業保険(基本26週)
  EUC(緊急失業補償プログラム)(1447週)
  EB(延長給付プログラム)(13週又は20週)

 最大計40週~93週が可能。
 加えて、20092010年に限れば、週25$を追加給付するという連邦追加補償(FAC)が有った。また、連邦職員、退役軍人に対するUCFEやUCX等〻の恒久的制度も有る模様。

 かくて、201314年時点では、1億3千万人が失業保険の対象となり、その受給者数は、毎週200万人~300万人に及ぶとのこと。

 具体的には、連邦平均では、2014年第4半期の週受給額は318$、受給期間は16週。
 しかし、州別では、202$~443$、10.4週~21.6週。バラツキは大きい。

 支給対象となる失業者には、「自身の過失によらず職を失い」、「身体的および時間的に就業が可能で」、「積極的に求職している」ことが求められます。
 また、日本とは異なり、失業保険の年齢区分は存在せず、上述の条件を満たしている限り同様の給付を受けることができます。

 ところで、我が国の雇用保険においては、被保険者は、適用事業に雇用される労働者であって次の者以外のものです。①65歳に達した日以後に新たに雇用される者、②週所定労働時間が当該適用事業の通常の労働者よりも短く、かつ30時間未満である労働者であって、季節的に雇用される者、または1年未満の短期雇用に就くことを常態とする者、③日雇労働被保険者を除く日雇労働者、④4カ月以内の期間を予定して行われる季節的事業に雇用される者、⑤船員保険の被保険者、⑥国、都道府県、市町村等で雇用され、他の法令により離職した場合に求職者給付および就職促進給付の内容を超える給与等を受ける者。

被保険者は4種類に分かれます。第1は一般被保険者です。これはさらに、短時間労働被保険者と、それ以外の一般被保険者とに分けられていましたが、平成19年の改正で短時間労働被保険者の区分は廃止され、一般被保険者に吸収されました。第2は高年齢継続被保険者、第3は短期雇用特例被保険者、そして第4は日雇労働被保険者です。

 最新のネットでの情報では、米労働者が去る5月8日に発表した4月の雇用統計では、失業率14.7%、失業者数約2050万人とのこと。

 2月のそれは、3.5%で、半世紀ぶりの低水準であったとの由。

 一方、5月のそれは、若干改善、13.3%。
 4月より改善ながら、依然厳しい状況。

 我が国の失業率は、3月で2.5%、4月で2.6%、5月で2.9%。
 日本では、失業率が2桁まで上昇するとは考え難いとされているものの、過去にリーマンショック(2008年9月)後、2009年7月には、5.5%という戦後最高水準に達しました。

 今回、このリーマンショックの状況と比較して、既に約1.3倍の落ち込み幅が示されている、として、リーマンショック後を超える6%台という予想もされているようです。

 更に、解雇まで至らずとも、休業を強いられる労働者を潜在的失業者、隠れ失業者とすると、リーマンショック時は355万人、今回は517万人。
 これを含めると、実質的失業率は、11.3%に至るという予測もされているようです。

2020年4月23日木曜日

弁護士らしい話し(其の36)


流行り病いなるもの


 2020(令和2)年は、2月以降、新型コロナウィルス騒動にて、物情騒然・・・
去る4月7日の非常事態宣言なるもの以降、その指定を受けた1都1府5県にては、それなりに物情騒然の筈が、路上の人の往来、クルマの走行は、めっきり減っています。
 とは言え、よくよく過去を振り返って見ると、今世紀に入って以降、このような流行り病いは数年毎に波状攻撃の様相。
 とは言い、目に見える形で、第3次産業を主体に甚大なダメージを被っているのが、ありありと目に映るというのは、初めての経験です。 

 流行り病いに因る物情騒然を遡って行くと、
 2012年9月~MERS(中東呼吸器症候群)。中東地域で始まったものの、韓国で猛威をふるい、未だ中東では収束していないとのこと。
 1997年の香港に端を発する鳥インフルエンザは、2004年には我が国でも感染。「H5N1感染」と表現されている模様。
 200211月~03年7月のSARS(重症急性呼吸器症候群)。
 近くは、2018年9月~豚コレラ、「豚熱(非アフリカ豚コレラ)」が野生イノシシから感染したとして、実に沢山の豚が殺処分されたことは、記憶に新しいところ。

 風土病、地方病という言葉が有ります。
 ペスト菌によって起こる感染症については、地方病的色彩が濃いものであったが、伝染力が極めて強いところから、古来、猖獗を極めた大流行が有名。古くは、14世紀フィレンツェで人口が3分の1に減った折りの事柄としては、ボッカチオの「デカメロン」が有名。
 近くは、20世紀に入っても、カミュが「ペスト」で、フランスの植民地であったアルジェリアでのペストの流行を描いたところ(1947年の出版)。

 1918年1月から1920年までの間に、インフルエンザによるパンデミックとしては、「スペインかぜ」が有名なところ、第一次世界大戦の参戦国では、報道が封じられていた一方で、非参戦国・中立国であったスペインでは、自由に報道がされていたことから、スペインの被害のみに着目され、名称としては、「スペインかぜ」になったとの由。
 これは、その後、H1N1型のインフルエンザウィルスに因るものとされています。
 そして、「スペインかぜ」は、人類最初のパンデミックとも称されている様とか。

 インフルエンザウィルスには、A型、B型、C型とが有り、A型は、症状が激しい、B型は、A型のような大流行は起こさない、C型は、一度免疫を獲得すると、その免疫が持続すると考えられているとのこと。

 只今の流行り病いの、記憶に新しいところのキーワードは、次の2ツ。
  1)重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndromeサーズ
    2002年、中国南部広東省で最初の報告。
    コウモリ外が媒介と言われているところ。
  2)中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus)マーズ
    2012年、ヒトコブラクダが媒介とされ、対症療法のみとのこと。

 一方、我が国における法的対応としては、その大本としては、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10(1998)年法律114号)が制定され、この法律では、H19(2007)時点で、SARSコロナウィルスが挙げられているところ。

 その後、平成20(2008)年法律30号では、「新型インフルエンザ対策の強化」の改正、この折りの鳥インフルエンザ「H5N1」。

 そして、今回発動された平成24(2012)年法律31号は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」。

 そして、只今の、コロナウィルス騒動に至る、という事の流れ。

 ともかく、今世紀・21世紀に入って、グローバル化の進展と共に、インフルエンザ流行性感冒は、年〻手強くなって来ており、その語義が示す如くinfluence、流行り病いも、星の影響という占星術の言葉に由来するところ、21世紀においては、運命論的に悲観せざるを得ないところの様。

 ところで、皆が知っているも、皆が読んでいない去る4月7日の官報(号外)「新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言に関する公示」全16頁を読んでみました。
 併せて、新型コロナウィルス感染症対策の基本方針に関する公示(令和2年3月28日)の一部を変更する公示というものが掲載されており、なかなか興味深いものでした。
「三つの密」「オーバーシュート」も述べられており、最も関心を惹いたのは、次なる記事でした。
罹患しても約8割は軽症で経過し、また、感染者の8割は人への感染はないと報告されている。さらに入院例も含めて治癒する例も多いことが報告されている」と!!
 これが最新の知見の様。

2020年3月19日木曜日

弁護士らしくない話し(其の34)

最近読んだ本の話し

 最近読んだ本は、文明の曙としての農耕社会が捉えられているものであり、それが一体何を齎したものか・・・を今更乍らに考えさせて呉れるもの2冊が印象的でありました。

  1)ジェームズ・C・スコット著
   「AGAINST THE GRAIN A Deep History of the Earliest States」
                   (みすず書房、2019年12月刊)
   (邦題:「反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー」)

  2)ジェイムス・スーズマン著
   「AFFLUENCE  WITHOUT ABUNDANCE:
     What We Can Learn from the World's Most Successful Civilisation」
                    (NHK出版、2019年10月刊)
   (邦題:「『本当の豊かさ』はブッシュマンが知っている」)

 1)は、メソポタミアでの農耕社会の始まりをどのように捉えるか?
 穀物栽培は、国家の創生と裏表であり、穀物というものは、その収穫が同時一斉に行なわれ、貯蔵が効くということから、税として取り立てる対象として最適である。
 狩猟社会では、このような形態での税の取り立てということは考えも及ばないところ。
 依って以て、穀物栽培と国家形成とは、表裏一体とのこと。

 そして、これに引き続いて読んだのが、2)のカラハリ砂漠に住むブッシュマンの話し。
 ここでは、採集狩猟社会と牧畜農耕社会と対比する形で生きることが語られています。前者は、腹を空かせることは有るものの、平等な社会。後者は、富の形成と上下関係の有る社会。

 ブッシュマンの社会では、嫉妬、嫉妬心がその社会を平等なものにしているとの分析。この本は、ブッシュマンは、週に十五時間だけ働いて(=採集狩猟に出掛け、口に入る植物や動物を集める)、それで十分にやって来ていた・・・との話しが中心。

 カラハリ砂漠は、その自然環境の過酷さ故に、採集狩猟社会のブッシュマンが新石器時代から今日まで生存することを可能にした、との極めて逆説的な話しが語られています。過酷な環境なるが故に、近代的な他者の侵入を容易には許さず、採集狩猟を専らとするブッシュマンの今日までの生存を可能にした、という話しは真に教訓的でありました。実に逆説的なストーリー乍ら。

 ところで、石器時代というのは、旧石器、中石器、新石器とに三分された、最後の約1万年を示し、その後の古代文明に至るまでのもの。磨製石器が登場、普及し、生産は、牧畜農耕へ移行。土器も多用。我が国では縄文時代に応当するとのこと。
 因に、旧石器時代は、打製石器、骨角器を使用し、生活は、狩猟、漁労と自然物依存の採集。
 そして、中石器時代とは、この中間の打製石器と祖原的な磨製石器や土器が登場する時代とのこと。
 次なる新石器時代において、牧畜農耕社会の今日に至る生活スタイル。

 そこで一体全体何を考えるに至ったか?
 生きるということは仕事をすることと同義・・・という思い込みは、どうやら新石器時代以降の観念であったのか・・・という漸くの気付き。

 毎日額に汗して・・・というのは、縄文以降の農耕社会的発想であったか・・・という今更乍らの再認識!ある意味衝撃!大いなる驚き!!
 生きることと働くことを同義のように考えることは、これまた一ツの判断停止であったのか・・・と俄かに思い始めた・・・という次第。よくよく考えよう!!というところ。

 近時のネット社会の隆勢を傍から眺めていると、真に小憎くたらしいような、人間のフッ!と思い立ったような小さな欲、欲求を掻き立てて、脹れ上がらせ、これを産業化し、新しいビジネスに仕立て上げる手法!?
 これは、欲望を煽り立てているのがネットビジネスである!と喝破、看破する言説も最近では多く見受けるところ。
 ウーバーとか、ネットタクシーとか、メルカリとか・・・これらは、何れも欲望の解放という言葉で括るような気がしつつあります。

 かくて欲望を解放すると如何なるのか?
 満足!大満足!!との大団円か・・・と思いきや、豈図らん也・・・欲望には限りが無く、もっともっと・・・となり、結局自らの手の内にある金銭の乏しさを嘆くことになるのでは・・・

 今少しく含蓄の有る言葉を補足します。

「反穀物の人類史」の著者は、1936年生まれ、イェール大学の政治学部・人類学部教授。著書の冒頭に、「深まるアントロポセンへと向かう孫たちに」として5名の名前を掲げています。
 Anthropoceneとは、人新世(じんしんせい)と訳され、人類が地球の生態系等〻に重大な影響を与する発端・起点として想定された想定上の地質時代を指すものとして使われ始めた用語のようです。地質時代では、これまで新生代に属すると言われて来ていた筈。これに継ぐものとして、用いられ始めています。

 そして、更に献辞としてか、Epigramとしてか、Claude Lévi-Straussの文章を掲げています。
「文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。・・・文字というのは奇妙なものだ。・・・文字の出現に忠実に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位付けである。・・・文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。」

 もう一冊の著者、James Suzman,Ph.D.については、「社会人類学者。南部アフリカの政治経済を専門とする。25年以上、南部アフリカであらゆる主要なブッシュマン・グループとともに暮らし、調査してきた。スマッツ特別研究員としてケンブリッジ大学でアフリカ研究に従事。シンクタンク『アンスロポス(Anthropos)』を設立し、人類学的観点から現代の社会的・経済的問題の解決を図る。ニューヨーク・タイムズ紙でも執筆。本書は2017年度ワシントン・ポスト紙ベストブック50冊および米公共ラジオ局ベストブックに選ばれた」とするばかりで、博士号所有者(英語ならば、哲学博士であろうものの、米語では、博士一般)である外、ネット検索をしても、日本語では、この著書に関する情報のみ。

 そして、この原題は、
 「AFFLUENCE WITHOUT ABUNDANCE:
   What We Can Learn from the World's Most Successful Civilisation」
 (ものに依存しない豊かさ)
  ― 世界一の文明に何を学ぶか ―

 人類史に向かう思想は、異別ながら、通底するものがあったことに驚いています。