2015年7月24日金曜日

弁護士らしい話(其の5)(言葉にこだわる)

思い違い、飜訳違い(?)についての随想・徒然です。

 司馬遼太郎の「街道を行く」の中に、文字についての誤解を戒める記述があります。崇と祟との違いを述べています。見掛けは紛らわしいが、意味は大違い。
 キリスト教の聖書が飜訳された際に、ノアの箱舟の話しで、陸地から鳩が木の枝を持ち帰ったものは、橄欖の枝と訳されました。これは原語では、オリーブでした。往時の日本人には、オリーブは未見であったようで、九州南部に渡来していた橄欖をこれに当てたようです。

 ところで、オリーブと言えば、最近では、マラソンの優勝者に与えられる冠は、オリーブの枝を編んだものになっています。以前は、月桂樹の枝の月桂冠であったようですが、月桂冠は、文芸の神のアポロンの持物attributeであって、肉体を使った競技の勝者には、ゼウスの持物のオリーブ冠に修正されたとか。因に、ギリシャのアテネは、オリーブの産地として繁栄しました。
 また、英語では、Laurel CrownOlive Crownと言い分けられ、前者に関しては、A Poet Laureate 桂冠詩人という言葉もあります。

 更に、誤訳と言えば、新約聖書の中にも、ナツメヤシ(Date Palm)を棕櫚(Palm)と誤ったものもあるようです。植物としては、Palm ヤシとは、ヤシ科に属する高木の総称。我が国のシュロ(棕櫚)は、分布の北限にあたるそうです。また、外観上からは、fan palm 掌状の葉をもつものと、羽状の葉 feather palm とに分けられ、棗椰子(date palm)は、作物であり、羽状葉が特徴のようです。

 棕櫚の主日(しゅろのしゅじつ)とか、受難の主日(枝の主日)とかの言葉がありますが(前者は、プロテスタント、後者は、カトリック)、キリストがエルサレムに入城する際に、歓迎する群集がナツメヤシの枝(正確には葉)を進む道に敷き詰めたという話しがあります。

 が、棕櫚とナツメヤシの誤解・誤訳のようです。

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