2016年1月29日金曜日

弁護士らしくない話し(其の12)


記憶力と蘊蓄云々と

 記憶力などは、無くては困るものの、有るからと言って別段誇るものではないように思っています。

 ただ、記憶というのは、専ら脳細胞のシナプスが複雑に絡み合って・・・との話しが主として語られるところですが、もう一ツ身体が覚えている記憶というのも肝心でしょう。「昔取った杵柄」(注1)

 三十歳を過ぎて、ヨット(ディンギー、全長4.23mの一人乗り、レーザー級)を始めたときに思い知らされました。学連上がりの人達は、風の具合、波の調子に合わせて、咄嗟の行動が利くのに対し、遅く始めた中年セーラーは、海面の状況が此処はこうだが、向こうの方は波立ち始めている、そして、其処へ向かうにはあと数呼吸でタッキングをして・・・といろいろ考え、それで良かったかどうか、自問自答する必要があり、どうしても大学生のときからヨットを繰って身体で覚えている人達とは、一呼吸も二呼吸も遅れてばかりでした。

 が、一方、その頃、山に登り、夕暮れの下山時に黄昏れの中を歩いているときに、同行の人達が足許が見え難いから歩き辛い・・・とグチっているのを聞いたとき、「昔取った杵柄」と思い至りました。中学生から山岳部でその後も延々山歩きをしていましたので、コチラは文字通り身体が思わず知らずにそれなりに反応している、さして苦労せずに歩けているということを実感しました。

 

 扨、博覧強記なる言葉は「博覧」つまりひろく書物を見て物事を知ることと、「強記」すなわち、記憶力のよいことから成る四字熟語。

 この言葉をこれまでにも痛感したのは、司馬遼太郎の「街道をゆく」全43巻を読んだときです。司馬遼太郎は、見事なものだ、と。そして、一時期、私自身「街道を行く」の信奉者のようになったことがあります。信奉すると妙なことになります。

 会津東街道に大内宿という茅葺き屋根の建物群が残されており、実に壮観です。

が、この宿場の名前を、筆者は「おおちじゅく」と振り仮名を付しています。が、現地では、「おおうちじゅく」と発語しており、司馬遼太郎先生に違(たが)う誤った発音をして、ケシカラン!とまで思ったりしていました。が、今ではどうも書物の方が誤植か、或は御記憶違いであったように思われます。

 司馬遼太郎は全43巻のシリーズを著すに当たっては、文字通り見事な程の予習をしたようです。各地の古い文献を入手し、国土地理院の縮尺5万分の1の地形図(注2)を眺め、そして古代に思いを馳せ、律令制時代の国衙や国分寺が何処に設けられていたかを知った上で現地を訪れています。ですから、目前の只今の光景の外に、その背後の歴史的な変遷も十分にVividに読み取ることが出来たようです。

 司馬遼太郎と言えば、「竜馬がゆく」(私は読んでいませんし、多分今後も読まないでしょう)で有名になった高知(土佐)から愛媛(伊予)への脱藩の道、檮原街道も訪れてみました。四国脊梁山脈は文字通り山の中です。

 また、巻数は忘れましたが、滋賀県蒲生郡日野町には、鬼室神社があり、祀られている鬼室集斯が百済人であったことから、古代の半島人は一字姓ではなかったことが分かるというのは、極めて興味深いものでした。更に、伊勢の松坂も、会津の若松も、何れも織田信長の女婿であった蒲生氏郷の命名に因り、近江の長浜は、豊臣秀吉(当時は、羽柴秀吉)が信長に因んで名付けたということも知らされました。

 

 博覧強記はともかく、要は、何事も実地に現地に臨んで見なければ本当のところは分からない、実体験せずしての知識というものは・・・ということであります。

 

 ところで、人と記憶との関係如何?ということを時折り考えることがあります。

 アーサー・クラーク原作キューブリック監督の1968年公開の名作「2001年宇宙の旅」原題 A Space Odyssey(これは火星に独り取り残され、地球へ帰還するストーリーのマット・デイモン主演の新作の題名は「オデッセイ」(注3)であったような・・・)は、人工知能の反乱が主題。

 この人工知能HAL(注4)こそメモリー(記憶)の固まり。

 飜って人間は!?と見ると、これも記憶の固まりこそがヒトの核心部分を構成しているように思えてなりません。

 少年事件や累犯事件を見れば、ヒトは、どのような成育体験、記憶、過去の思いを引き摺って生きているもの哉!?と感嘆せざるを得ません。

 

 加齢に因り、短期記憶は明らかに衰えます。

 コンピュータの記憶のメカニズムに譬えれば、記憶は「書き込み(入力)」「保持(保存)」「喚起(出力)」の三ツから成っている様子。

 老齢は、先ず、喚起の衰えから始まり(喉まで出ているも・・・)、次に、保持力の低下へ進み(昨晩のメニュー、先週の映画の題名の失念)、そして、最終、書き込むことの不可(記憶する力の喪失)に至るものの様子。

 赤尾好夫のマメ単(注5)に、人は忘れる動物であるから、忘れる以上に覚え込むしか対策はない、という言葉があったように記憶しています。

 が、長期記憶は時としてヒトを豊かな気持にも、又逆に落ち込んだ気分にもさせます。

 御一同、須らくヒトは佳き体験、佳き記憶の保存に努めるべきであります。

 が、ヒトというのは、厄介な生き物であって、過去の佳き体験を思い出しても、その楽しさは薄れるばかりである一方、マイナスの感情を惹き起こした体験、例えば、怒り、悲しみ、悔しさ・・・などは思い返すと一層増幅されます。加藤和彦の歌のように「あの素晴しい愛をもう一度」(注6)は実際には果たせない願望であり、そうなるが故に、これは名曲なのであります。



(注1) 「きねづか」には、屋根の小屋組みの束柱で上下両端が膨らんだ建築用語の「杵束」と、臼と用いる杵の柄との2語が有るとのこと。勿論、年の瀬の餅搗きでの年長者の出番。
(注2) 国土地理院は、2009年公開の映画「劒岳 点の記」でも取り上げられていた、内務省と陸軍参謀本部、そして建設省の流を汲む国土交通省の「特別の機関」。
    地形図は、5万分の1のものが1924(大正13)年ころに略完備。2014(平成26)年には、2万5千分の1の地形図が「領土全域の整備完了」とのこと。
(注3) Odysseyは、古代ギリシャのトロイ戦のホメロスの叙事詩に由来。
    叙事詩オデュッセイアの主人公の名がオデュッセウス。
    この最近の作品の原題は、「The Martian」。
(注4) HALは、小説ではHeuristically programmed ALgorithmic computer(自ら発見する(ヒューリスティクス)プログラムをされたアルゴリズム的コンピュータ)の頭文字ということになっています。
  これは最大のコンピュータ会社IBMのアルファベットの語順の前の文字を連ねたとの話し。大阪の専門学校もそれを意識しているのか・・・なお、IBMは、International Business Machines
(注5) 旺文社の英単語帳「英語基本単語集」。その9訂版は1995年発行。
(注6) 作詞:北山修、作曲:加藤和彦。1971年レコード発売。

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