12月14日の新聞朝刊に、「簡宿で死亡 遺品2千万円」「西成 住人男性 身内現れなければ国庫に」(朝日)、「簡宿で男性死亡」「室内から2000万円」「西成 数年前から寝泊り」(産経)と報じられていました。これは、11月30日の官報に掲載された「行旅死亡人」公告を受けての報道です。
明治32(1899)年の法律(第93号)に「行旅病人及(び)行旅死亡人取扱法」というものがあります。
古い(?)表現では、「行き倒れ」の人達について、どのように扱うかという法律です。
この法律の1条2項に「住所、居所若(しく)は氏名知れず且(つ)引取者なき死亡人は行旅死亡人と看做す」と規定しています。
2条は、「市町村これを救護すべし」としています。
そして、救護費用は、被救護者の負担とし、これが弁償されないときは、扶養義務者の負担とする、とし、費用の弁償に関しては、民法878条(扶養の順位)の規定も定めています。
9条は、官報に拠る公告を定め、10~14条に定めるところからは、相続人との間で前述の費用弁償なり、遺品たる遺留品なりの処理を果すことになっているようです。
かくて、最終的に身元が分からず、相続人の存在が明らかにならなかったときは(民法951条は、「相続人のあることが明らかでないときは・・・」と規定)、相続財産法人となり、管理人が選ばれ、特別縁故者にも引き継がれなかったものは(身元不明であれば、特別縁故者も無しとされるであろう)、最終「国庫へ帰属(民法959条)」することになります。
当の本人は、6年以上前から毎月2万4千円の宿代を払っていたとのこと。
ところで、私の関心は、金を残して勿体無いということではなく、日本人のメンタリティ、並べて見られる通弊として金を上手に遣えない、ということにあります。
贅沢は敵!「・・・したつもりで『つもり貯金』」・・・ともかく金が貯ることは善で、出て行くことは悪・・・本当にそうであろうか?答えは、否!金は回らなければならぬのであります。
質素倹約は、善!贅沢蕩尽は悪!と言っていると、金を支出するときには、後ろめたさが付き纏い、金を節約し、貯め込むことに喜びを感じるようなメンタリティ、思考回路が出来上がって仕舞う様。
これが続くと、年金等の収入も節約し、貯め込み、自らの為には遣えず、特殊詐欺、つまり、孫子(まごこ)からのオレオレ詐欺、つまり「助けて呉れろ!」と持ち掛けられると、コロリッと・・・いうように思われてなりません。
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