最近の思いを2ツ述べさせて貰います。
1)考えるということ
考えるということは、問題の解決方法が無いこと、或は、課題に対処する術が確立していないこと、との哲学者の言が新聞で紹介されていました。
哲学者の鷲田清一氏の朝日新聞のコラム(「折々のことば」2018年5月30日)です。
解決の方法、対処の仕方が確立しているならば、アレコレ考え込む必要はない。考えるということは、未知の問題に臨んだときに求められる対応ということか。
それを称して、「考えることは雨乞いのようなものである」と。
すなわち、考えることと、その結果、結論との間には、必然の関係が有るのか、無いのか・・・
それでも、人の武器、利器としては、情報を集め、分析し、考えることしか無い筈・・・
かくて詰まるところ、考えることと、解決に向かって行動を起こすこととの間には、依然、千仞の谷が有るものの、思い切ってジャンプすることが必要の筈。
さすれば、どこかで思いを切り、決断し、行動に移るべき時が訪れることに!!
つまり、考えることのみを以て、事は終わるのではなく、何処かで考えることを止めることも必要な筈。
2)山で道に迷ったら・・・
山登りをしていて道を見失ったら・・・
ヒトは、どうしても里の方向へ足を向けたくなるもののよう・・・
それは、迷い道から脱出する術とは、どうも反対のもののよう・・・
山道は、原則として稜線を辿るようにして切り開かれているのが原則形。
途中で道を見失ったときは、より高い場所、稜線を目指せば、山道に出るのが極く一般的。
然るに、迷ったときは、山奥ではなく、里へ出たいという気持と、登るよりは下る方が楽であるという気持とが相俟って、怪しみつつも、より低い方向へ至る踏み跡をどうしても辿り勝ち。
しかし、山道を見失なったときは、下るよりはシンドイものながら、上方、より稜線に近いところへ、勇躍登るのが手堅い対応。
今年の黄金週間の後半は、全国的に悪天候に見舞われ、新潟県阿賀野市の山で、小1の子供と父親が凍死(低体温症)したという報道に接し、真に哀しく胸潰れる思いを強くしました。只〻冥福を祈るのみです。
合 掌
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