2018年1月11日木曜日

弁護士らしくない話し(其の23)


本を読むということ

 これまでも、これからも、趣味は?と問われ、読書!という答えはしない、としています。
 その理由は、肉体(フィジカル)を維持するには、飲食を必要とし、精神(メンタル)を鍛え、伸ばすには、ヒトの記した本を読むことは不可欠と考えているからです。
 メシを喰うように、本を読むことは、ヒトが生きるということに必須と思っています。
 然るに、件の大統領は、本を読まないことが恰も自慢の様・・・

 扨、丁寧に記録を取るようになったのは、ここ30年程の期間ですが、大体年間百冊は読んでいます。
 買ったまま「積んどく」になっているものは、その倍くらいに上ぼろうかと思われます。
 近々目から鱗であったのは、今流行りのDiversity、自然界における生物多様性が何が故に必要不可欠なものであるか?ということを気付かせて呉れた次の2冊です。
 人類、ホモサピエンスという種が今後も生き残ってゆく為には、この多様性は不可欠の筈ということに気付かされました。



 また、齢六十を超えて、根気なり、集中力なりを要する作業が億劫になりつつある一方で、古典に属する分厚い本を読むことが意外にも苦にならないことです。
 島尾敏雄の「死の棘」というのは、夫婦の諍いを延々600頁余も書き綴った、私小説です。これまで二度、三度挫折していましたが、関連する文献と言うか、読み物、書籍と読み比べるつもりになって、漸く読破することが出来ました。

 読み比べたのは、次の3冊でした。



 更に、追い駆けて、妻の島尾ミホの短編集「海辺の生と死」(中公文庫 1987(62)年 全239頁)(元々は、1974(49)年 創樹社刊)を読むと、夫の島尾敏雄の私小説「死の棘」の様相、感想が又々ガラリッと一転したような印象です。


 事実も、印象も、正に人それぞれであり、人の数だけ真実が有るような気がしました。



弁護士らしい話し(其の27)


法律家・弁護士なる仕事

 法律、法律家には、変革を起こすことは出来ないか・・・


 書家の石川九楊の言(1/5 朝日新聞朝刊)にては、法学部へ進学するも、1か月で、法律家に変革は出来ないと判断して、弁護士を目指すことを直ちに止めて、書家を志したとの由。
 とは言い条、古くは、フランスのロベスピエール、ロシアのレーニン、近くは、キューバのカストロが弁護士を生業としていたことが無視されている感想。

 扨、大阪弁護士会の新年会にて、満40年の弁護士業について、恒例の顕彰を受けました。アッと言う間の40年であります。
 昭和52(1977)年4月からの満40年余・・・戦後の高度経済成長と、これに続くバブル経済、そして、その崩壊・・・

 大阪での同期の弁護士四十余名のうち、物故した者、法律に拠り、規律違反の故に資格を失なった者、その数は4分の1を越えたことを改めて認識。結局、非日常的な狂奔に巻き込まれ、道を誤ったり、身心の不調を招いたり・・・中には、自死か、犯罪被害か判然としなかった者も・・・

 神は亡ぼそうとする者を先ず傲慢にする、という俚諺も有り、また、人が慢心しないようにする為に、神が発明された、更に、知的な勇気を欠いていたが故に、神を発明した、との言説も(バートランド・ラッセル)。

 所詮法律家は、人の世の調整しか出来ないものか・・・されど腕っ節に拠らず、此の人の世を過ごす、ということは、やはりそれなりに不可欠な仕事の筈!?と熟々考える年末年始でありました。

 本年も何卒宜しく御厚誼の程を御願い申し上げます。

敬 白

2017年9月5日火曜日

弁護士らしい話し(其の26)

法律相談で慨嘆
 年に何度か、弁護士会での法律相談の当番が回って来ます。先日も、出向いて担当して来ました。
 これまでも色々な驚くべきケースというものも数多聞かされ、それなりに対応、助言、指導をして参っています。

 先年来、オレオレ詐欺、特殊詐欺というものが大きな被害を高齢者に与えていると言われています。
 が、一方、若者はどうなのか?!と思っていると、ヒドイ現状を又々知らされることになりました。
 押し掛けセールス、そして、信販系のローン払いを強いる手口。少々驚いたのは、会社経営者に文字通り祭り上げて、社長になるように!出資をするように!として、百万円単位の金を騙し取るケース。
 落ち着いて、また、丁寧に情報を収集し、比較検討、沈思黙考をすれば、その珍妙さ、奇矯さには気付く筈であったのではないか、と思われるものが全てではあるのですが。

 もっとも、ネット社会の今日、数々の夢物語のようなネット成金、ネット事業成功者の情報がネット空間を飛び交っています。
 テレビでは、旧態依然たるCMが夢の宝クジ、公営ギャンブルへの関心を無理矢理掻き立てようとしています。諸外国と比較すると、これらギャンブル、日本語で言えば、賭博の胴元の取る率は、我が国が頭抜けて多いようです。庶民は毟られるばかりです。詰まるところ、これらで財を成すようなことは無い、と言うべきであるにも関わらず、それが夢!とか、スマートさ!とかを装っています。1人、或は極く極く少数の賞金獲得者と比すれば、圧倒的多数の、90%以上の賭金をスルのが事理の当然です。が、そのように思いたくないのが人の性ですが、落ち着くところはスルばかりということ。

 勤勉とか、実直とか、刻苦勉励とか・・・という言葉は、メディアでは死語のよう。
 これらを美徳とか、人の道とかを説く気にはなれないものの、我ら凡人にとっては、結局、これらの言葉に示されたところを日々実行、実践することのみが事を遂げる真っ当うな唯一の道の筈です。

 弁護士の仕事に就く前からも、就いてから気付き、喧伝している言葉が有ります。
 人の世に蔓延り、人の欲を掻き立てるトークの最たるものは、「カクカクシカジカすれば金が儲かります」「金を儲ける秘訣を教えます」「ですから、先ず、私に金を払って下さい」というものです。
「金儲けの方法を伝授するから、金を払って呉れろ」これは、確かに楽して確実に儲かる方法です。

2017年9月1日金曜日

弁護士らしくない話し(其の22)

お盆の夏休みに信州を旅しました
 
信州を訪ねましたが、山登り以外を目的としたのは初めてに近いものでした。
 神戸から高速道を行くも、中津川から国道19号線を辿りました。
 茨木・京都間と草津・粟東間の渋滞にも巻き込まれました。
 
 鳥居トンネルを過ぎ塩尻峠を越えて、松本平へ。
 木曽福島の町並みを眺め、国宝の現存木造天守閣の松本城の近くながら、これまで訪れる機会の無かった旧開智学校を尋ねました。
 カーナビで開智小学校と入力したところ、ヒットして向かったのですが、現地には、今様の校舎があるばかり。慌てて「旧」と入れて辿り着きました。
「擬洋風建物」ということで、明治の大工の棟梁が見様見真似で造ったものとか。正面玄関には、「龍と2人の天使」という何ともミスマッチのような装飾。
 それでも建物の1階、2階を見て行くと、文字通り明治の人達の熱い意気込みが強く感じられる展示が多々有りました。
 このような洋風、擬洋風の校舎を全く新しく設けて、学校教育を推進したのは、鹿児島県出身、薩摩藩出身者の官吏であった、というのは、今更乍らの驚きでした。
 安曇野のペンション、元JASのパイロットが退職をしてやっているという宿に泊りました。二十有余年、間もなく三十年か・・・という年季の入ったペンションでした。
 24時間温泉に入ることが出来るというのが売り物、魅力でした。
 
 翌日は、美ヶ原高原、最高地点の王ヶ頭、王ヶ鼻を訪れ、急変する空模様にあれよあれよ・・・でした。夕には、岩崎ちひろ(知弘)の美術館、公園に行ったところ、文字通り千客万来の大賑いに改めて感動、感心しました。
 
 三日目は、善光寺まで足を延ばし、その賑わいを痛感しました。門前町というのは、これまでも幾つか訪れていますが、長野市は、文字通り、その北の斜面の裾と言うべきか、盆地の端と評すべきか、善光寺の門前に広けた大門前町であることを改めて強く認識しました。松本では、さ程感じなかったのですが、長野の人達の言葉は、正に東日本のものとも聞き取りました。
 
 長野・善光寺への道中では、姨捨の田毎の月の眺める公園に寄り、長野からの帰途では、川中島古戦場、信玄・謙信一騎討ち、三太刀七太刀の像なるものを真近に眺めていました。どうも作者は明示されていない様子です、近時の作ながら。
 その後、往路とは違って長野自動車道を使わず、大町をかすめて松本を目指したところ、渋滞に巻き込まれ、ホウホウの体・・・
 
 四日目は、鬼無里を経由して、戸隠神社を目指し、山越えドライブを堪能。戸隠中社から戸隠奥社の随神門までを小走りで往復、中社門前のうずら屋のソバを試したかったものの、10時に予約をしても13時半ころになる見込み・・・と言われて、スゴスゴと退却。
 
 今年は、特に豪雨が頻りであった信濃町のJCから上信越自動車道に入り、北陸道、名神道を経て帰神。走行距離は、千㎞を上回りました。
 
 ともかく信濃の国は、大きな国であり、些か遥けき国でもありました、今更乍ら。

2017年7月19日水曜日

弁護士らしい話し(其の25)


― ジョン・クラカワーの「ミズーラ」と刑法改正 ―
 刑法における性犯罪に関する規定が大幅に改正され、また、施行されました。
 性犯罪の処罰の強化、厳格化というようにメディアでは報じられていますが、ある意味、そのような範囲を大きく上回わるものです。
 法定刑が3年以上の有期懲役から5年以上の有期懲役に引き上げられ、被害者の告訴を要しない非親告罪と改められた、というようなことにとどまらず、枠組自体が大きく変化しています。
 従来は、強姦罪の定義は、「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪と(する)」とされていたものが、「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪と(する)」と改められました。
 処罰される行為の範囲は広くなり、被害者は男女を問われないこととなりました。

 アメリカの作家・登山家で、ジョン・クラカワー(Jon Krakauer)という人がいます。1996年のエベレストの大量遭難事件を描いた「空へ」(ヤマケイ文庫)、映画化された「荒野へ」(集英社文庫)、「信仰が人を殺すとき」(河出文庫)という事実を畳み掛ける、独特の筆致が個性的で魅力的な書物を著しています。そのクラカワーがアメリカ北西部のモンタナ州の田舎の小さな大学都市で起こった一連のレイプ事件に関する警察官、検察官、裁判官、弁護士の言動を仔細に報じた「ミズーラ」という作品を2015年に著し、その日本語版を読みました(201610月、亜紀書房発行。全509頁)。非常に刺激的であって、法曹としての有り方、裁判の実際、そして、人の自由と尊厳というものについて、大いに考えさせられました。

 アメリカにおけるレイプの概念について、目を見張っていました、無智にも。そして、改正刑法の施行!
 我が国の刑罰法規も、略同様になったようにも思われますが(同意の無い性交等までは処罰の対象とはしていない様子)、それでも訴訟法、刑事手続法の領域では、なお改められるべき課題が沢山有りそうな気がしています。
 モンタナ州等では、「女性に対する暴力防止法」なるものに基づいて、全ての性的暴力被害者が証拠採取キットを自由に利用できるとし、また、First Step Resource-Centerという施設も設けられているとか。

 これらに比して、我が国は・・・と無頓着に思っていましたが、今次の刑法改正・・・
 微々たるものかも知れませんが、それなりに社会の前進を実感しています。

2017年3月22日水曜日

弁護士らしくない話し(其の21)

インドネシアに行ってきました(続)
 インドネシアには、世界最多のイスラム教徒がいます。島嶼国家(もっとも、island country:島嶼国というのは、人口が少ない、国土が狭い、大陸から離れている、一人当たりの国民所得が低い、という国連の基準があったとするようです。)(-nesiaというのは島嶼国を指す、という言い方もされます。PolynesiaMelanesiaMicronesiaと)です。
 多民族国家で700を超える民族で構成されており、言語は300を超えるようです。
 そして、古くはポルトガル人が入り、1602年と言いますから、関ケ原の合戦の頃から、オランダの植民地とされ、爾来350年間、1949年に漸く独立を果たしました。
 独立を果たして、初代大統領には、スカルノ、副大統領にはハッタが就きましたが、ハッタは、間もなくスカルノとは袖を分かったようです。


 首都ジャカルタには、1000万人を超える人達が住んでいます。
 独立後、ローマ字表記のインドネシア語が国語として定められました。
 言語としては、基本的には、マレーシアのマライ語と同じとか。
 オーストロネシア語族に属する。


 天文12(1543)年に種子島に漂着したポルトガル船が鉄砲を伝えたという史実がありますが、このポルトガル船は、どこから日本へ来たのか?
 Batavia バタヴィアから出航した、とのこと。
 この地は、現在のジャカルタです。もっとも、この言葉の元々の意味は、「川と川の間の島の住民」で「オランダ語人」を指すとの由。
 東南アジアの国々の中で、その首都を訪れるツァーが見当たらないのは、フィリピンのマニラと、インドネシアのジャカルタの2ツ。前者のセブ島、後者のバリ島のように顕著ではありません。
 とは言え、これらの2ツのダイナミズム、躍動感は、何れも有名な大交通渋滞で知られています。


 今回の私の旅は、ジャカルタ経由ジョグジャカルタであって、その戻りの便の際、半日ジャカルタで過ごすことになり、空港からは南東へ約25㎞離れている首都ジャカルタを目指したという次第。
 英語は、殆ど通じない、と予め脅され、ならば、と運転手に示す行き先きメモを俄かに準備。
 それでも、最初、空港から市内中心部へ向かう際は、安心な定番のブルーバードのタクシーをその専用乗り場で番号票を出力して。次に、市内でも、流しのブルーバードを利用。その後、バタヴィア広場の近くから空港へ向かう際には、Airport Taxiと表示した流しに乗ったところ、これがメータをつけているものの、メータを倒さない、ネゴシエーション・タクシー。


 インドネシアの通貨ルピアは、100ルピアが1円弱、つまり100円は1万ルピア、1000円は10万ルピア。
 そこで、英語で数字の話しをすると、100×1000hundred×thousandこのhundredの辺りを言い争う破目に。
 件の運転手は、two hundredを要求し、一度は、空港から市内までブルーバードの上品なタクシーで走ったときは、14万ルピア(one hundred forty)しか払っていないことから、「mahale(高い)」と難じ。結局、16万ルピアを支払って、サッサッと下車。
 日本風に翻訳すれば、2000円弱か、1500円弱かのような500円弱の攻防。