「日本史の論点」と題する中公新書編集部編の新書全269頁(8月25日発行)を一気に読みました。
副題「邪馬台国から象徴天皇制まで」ということで「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の5ツの区分で各5~7の論点、合計29の論点について、最近熱い議論が要領良く紹介されています。
古代から中世へ。その節目は、源平の合戦。僧慈円の「愚管抄」に「武者(むさ)の世」の到来との嘆き。
中世から近世へ。その節目は、秀吉の天下統一。惣無事令(1585年)。
近代から現代へ。その節目は、第二次世界大戦。終戦ならぬ敗戦(1945年)。
ところで、現代では、どこまでが戦後か。
かの有名な「もはや戦後ではない(1956年「経済白書」)」は、戦災からの復興の、その先にある危機感の発露。
日本語では、「近代」と「現代」。英語の表記では、Recent-ModernとThe Present(Modern Times)。(ランダムハウス英和大辞典では、Modernとは、Middle Agesに続く、近世の、近代の・・・意とか。真に広義?!)。
近世 Early-Modernは、その前が、中世 Middle-Ages。更に、その前は、古代 Ancient Times。
これらの区切りが、日本史研究の中で、改めて問われているようです。
扨、近代と現代の岐れ目は、どこか?
我が国では、第二次世界大戦の終結を以て、これに当てておいて、概ね間違い無い模様。
その中で、では、近代日本とは何であったのか?どのように総括されるべきか??これは真に刺激的なところのようです。
が、ここで法律家として、最も瞠目したのは、明治国家は、大日本帝国憲法の19条において、次のように謳っていたところです。
「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」文官、武官の公務員になる権利!です。
明治憲法は、勿論、三権分立ではなく、全7章、76か条。
日本国憲法は、全11章、103か条。
この中に、明治憲法19条は、一種独特、そして皮肉な言い方では、唯一の平等条項として、立身出世主義、その頂点は、官僚、軍人であることを称揚していたということです。
これは、明治憲法体制が行政優位の制度であったことを名実共に裏付け、果ては、近代以降の日本人への精神性を縛って来ているように思われます。
ともかく、歴史の評価、考察は、大いに変化するものであり、変化するところが、大変興味深いところです。
更に、歴史についての改めての考察、評価という点では、中公新書「日本統治下の朝鮮」― 統計と実証研究は何を語るか ― 全224頁(4月25日発行)も非常に興味深いものでした。
国際経済学・開発経済学の研究者木村光彦による、1910~45年、つまり、(悪名高き)日韓併合から第二次大戦の敗戦(終戦と珍妙に言い換えられている)までの、統計資料を以てした考察です。
その内容は、真に刺激的であります。
中公新書「中国経済講義」─統計の信頼性から成長のゆくえまで─全272頁(9月20日発行)も大変刺激的でありました。1970年生まれの神戸大学教授梶谷 懐のクールな分析が考えさせて呉れます。
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