2016年8月18日木曜日

弁護士らしい話し(其の20)


島の司法サービス(其の1)

 日本弁護士連合会は、今日の地方裁判所の支部の管轄・管内を基準に、弁護士がゼロか、1人しかいないところを、2人以上にする運動を続け、2011年には、これを果たし、「ゼロワン地域解消」と公称されています。

 これにて、遍く法の支配が貫徹・・・とマア一応は考えられていました。
 
 しかし、昨今、精確には、丸5年前に鹿児島県の南端の与論島を訪れて、その考えは吹っ飛びました。
 与論島は一島一町で与論町の人口は、1970年代の7千人をピークに、最近は3千人台に減っています。
 先の大戦の後は、奄美群島の一部として、米国の施政下にありました。が、その折りには、裁判所が有ったそうです。三権分立、法の支配と言い慣わしていますが、我が国で最も身近なのは、行政であり、何年かに一度の立法議員の選挙であり、最も遠いのが司法と言わざるを得ません。しかし、米軍の施政下では、裁判所が設けられていたと言います。法というものに対する考え方の余りに大きな違いと言わざるを得ません。

 ところで、米軍施政下から本土復帰をした際に、裁判所は無くなり、平成20年代には、法務局の出張所も無くなり、島の田畑の登記を調べるには、町役場に置かれているファクシミリを用いて、然るべき申請書を鹿児島まで送信することになっています。

 司法サービスはゼロに等しいということに衝撃を受け、毎年3月に開かれる島のマラソン大会に参加すると共に、その前後に無料法律相談をすることにし、今春で丸5回実施しました。

 そして、最近は、島フェチ(fetish)となり、昨年来、加計呂麻島、与那国島、小笠原諸島へ出掛けているのですが、これらの島には裁判所が有るのか無いのか?裁判所の有る島はどこか?気になり調べることにしました。以下がその結果です。 

 
地・家裁支部
簡易裁判所
家裁出張所
(東京)
 
 
 
八丈島
 
八丈島八丈町大賀郷
八丈島八丈町大賀郷
伊豆大島
 
大島町元町字家の上
大島町元町字家の上
新島
 
新島村本村
 
(新潟)
 
 
 
佐渡
佐渡市中原
佐渡市中原
 
(島根)
 
 
 
西郷
隠岐郡隠岐の島町港町指向
隠岐郡隠岐の島町港町指向
 
(長崎)
 
 
 
厳原
対馬市厳原町中村
対馬市厳原町中村
 
壱岐
壱岐市郷ノ浦町本村触
壱岐市郷ノ浦町本村触
 
五島
五島市栄町
五島市栄町
 
上県
 
対馬市上県町佐須奈甲
対馬市上県町佐須奈甲
新上五島
 
南松浦郡新上五島町有川郷
南松浦郡新上五島町有川郷
(熊本)
 
 
 
天草
天草市諏訪町
天草市諏訪町
 
牛深
 
天草市牛深町
天草市牛深町
(鹿児島)
 
 
 
名瀬
奄美市名瀬矢之脇町
奄美市名瀬矢之脇町
 
徳之島
 
大島郡徳之島町亀津
大島郡徳之島町亀津
種子島
 
西之表市西之表
西之表市西之表
屋久島
 
熊毛郡屋久島町宮之浦
熊毛郡屋久島町宮之浦
甑島
 
薩摩川内市上甑町中甑
 
(沖縄)
 
 
 
平良
宮古島市平良字西里
宮古島市平良字西里
 
石垣
石垣市字登野城
石垣市字登野城
 

 鹿児島県大島郡なれば、瀬戸内町であって、結局のところ、加計呂麻島は、名瀬簡裁、鹿児島地家裁名瀬支部の管轄、与那国島なれば、沖縄県八重山郡与那国町であって、石垣簡裁、那覇地家裁石垣支部の管轄、そして、小笠原諸島は小笠原村で、東京簡裁、東京地家裁の管轄となります。従って、これらの島の係争を法廷で解決するには、そのコストは大変です。

 我が国には、1000を超える島があり、そのうち3~400の島に人が住んでいると言われています。今日では、橋が架けられ、クルマで往き来できる島もかなり増えていますが、それでも島の住民は、一般的に司法サービスの提供になかなか与っていないというのが実情です。(続く)

2016年7月25日月曜日

弁護士らしい話し(其の19)

ペリリュー   パラオ
Peleliu と Palau
 

 昨(2015)年8月13日にNHK総合で放映された「狂気の戦場ペリリュー忘れられた島の記憶」という番組があります。

 南へ3200kmと言われています。東経135°、北緯7°くらいに位置していますから、文字通り当地からは真っ直ぐ南へ3000km余の位置です。 

 スペイン、ドイツに次いで、第一次大戦後、日本が国際連盟の信託統治をした島々です。 

 1944(昭和19)年4月に、中国の東北部(満州)から陸軍歩兵第2連隊が引き抜かれて、同地の防衛に当たることになりました。

 その頃までは、バンザイ突撃、玉砕、自決・・・という戦術が一般化していたのですが、以後は、「持久戦」、ともかく粘って抵抗し、敵の消耗を招く・・・というような考え方、戦術の転換が中央から命じられていたようです。

 ペリリュー島に設けた1600mの滑走路が、日米間の島の争奪戦の原因とか。 

 陸軍歩兵第2連隊ということですから、その員数は数千人、一方、攻め寄せるアメリカ軍は第1海兵師団ということですから、その数は1万人以上。そして、武器、食糧等の物量にも大きな差異・・・ 

 同年9月15日から始まった戦闘は、海兵師団長が当初3日もあれば攻め落とす、と豪語していたものが、結局、1124日までの攻防戦。死者は何れも1万名・・・

 この間、連合軍司令官ダグラス・マッカーサーは、結局、パラオ・ペリリューは飛び越し、同年1024日に、日本攻略の要石としていたフィリピンのレイテ島に上陸。

 かくて、東洋一と囃されていたペリリューの1600m滑走路の攻防は全くの無為。 

 昨年パラオ共和国を訪問の両陛下がペリリュー島で黙祷を捧げられる光景が報じられていましたが、七十二年を経過した今に至り、このペリリューの激戦を踏まえてのものであることを知りました。
 

 ところで、敗戦への足取りは、次の通り。題して、太平洋戦争敗戦史。
○ ミッドウェー海戦                1942年6月5日~7日


○ アッツ玉砕 Battle of Attu(アリューシャン列島)1943年5月12日~29
    陸軍第7師団の穂積部隊 独立歩兵第301大隊
                → 要塞歩兵隊2650
 ※「アッツ島玉砕」


○ キスカ撤退作戦(アリューシャン列島)      1943年7月29


○ トラック島空襲「海軍丁事件」          1944年2月17日、18

○ サイパンの戦い(ミクロネシア)         1944年6月15日~7月9日
     マリアナ諸島
    陸軍第43師団と第2、第4海兵師団&第27歩兵師団
 ※「サイパン島同胞臣節を全うす」


○ マリアナ沖海戦                 1944年6月19日、20


○ ペリリューの戦い                1944年9月15日~1124


○ レイテ沖海戦 Battle of Leyte Gulf       19441023日~25
    戦艦武蔵は、1024日に沈没


○ 硫黄島の戦い                  1945年2月19日~3月26

○ 沖縄戦                     1945年3月26日~6月23


 既に七月、次いで八月。八月に入ると、6日の広島への原爆投下、9日の長崎へのそれ、15日の敗戦・・・ということで、原爆の投下の故に、我が国が無条件降伏を促したポツダム宣言(1945年7月26日)を受諾したように一般的には受け取られているようです。 

 が、それは歴史的諸事実の直截な解釈とは言い難いようです。我が国の当時の指導者達は、一撃講和論と称される、せめて一矢を報いてから、有利な条件で講和に持ち込むべしと考えており、また、その講和の仲介をソビエト・ロシアに依頼し、期待していたようです。しかし、スターリンは、その前の2月のヤルタ会談で、ドイツ降伏後3か月以内の対日参戦を約束し、そして、現に、8月15日未明に戦端を開いて来ました。そこでポツダム宣言を受諾せざるを得なくなった、というのが歴史的事実です。 

 また、広島の原爆は、ウラニウム235爆弾であるのに対し、長崎のそれは、プルトニウム239爆弾です。その何れもを、既に始まっていた東西の対立に備えて実地に使用してみようという姿勢があったことは間違いの無いところでしょう。 

 我が国では、8月15日は終戦記念日と称され、恰も人為ならざる、自然現象であったかの如く事が終われりと表現されているように思われます。しかし、対日戦勝記念日Victory Over Japanは、どうも9月2日とされているようで、東京湾のミズーリ艦上での降伏条約の調印を以て太平洋戦争は終結した、という捉え方が我が国以外ではされているようです。

2016年7月7日木曜日

弁護士らしい話し(其の18)


文化財保護法・自然公園法・都市公園法について

 我が国で最大の湧出量を誇る豊後の国、大分県の別府の温泉地には、八ツの「地獄」という名所がありますが、そのうちで4か所だけが国指定の名勝ということを大きく謳っています。奇観を呈する自然湧出の源泉を指しています。海地獄、血の池地獄、白池地獄、龍巻地獄の4ツです。
 名勝というのは、景色のすぐれた土地という意味であり、法律的には、文化財保護法(昭和25年法律214号)に基づいて、文化庁が風致景観がすぐれ、学術的価値が高いものとして指定したものを指します。

 そして、この名勝の中の選りすぐりが特別名勝と言います。

 昨今は、ユネスコの世界遺産というのが世界的に有名ですが、国内的には、この文化財保護法に基づく、史跡、名勝、天然記念物は、見に出掛けるに十分に値するものを指していると言えそうです。

 また、自然公園法(昭和32年法律161号)では、優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄することを目的として、「国立公園」「国定公園」「都道府県立自然公園」の指定をし、保護と利用を図っています。
 名勝と特別名勝は、これらをオーバラップしています。
 国立公園は、現在32か所で、国土の5.6%を占めているとか。
 その外、少々紛らわしいものとして、国営公園があります。この国営公園は都市公園法(昭和30年法律79号)に基づくもので、同法は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図る・・・としており、所管は国土交通省ということになります。
 具体的には全国に17か所あり、例示をすれば、次の通りです。
国営ひたち海浜公園
国営アルプスあづみの公園
国営木曽三川公園
淀川河川公園
国営飛鳥・平城京跡歴史公園
国営明石海峡公園
国営讃岐まんのう公園
国営沖縄記念公園    等々

 これらは、私自身、それとは意識せずに、これまで現地を訪れて初めて気付き、立ち寄ったことのあるところでした。何れも、自然公園とは雰囲気を異にしていますが、それなりに見物でありました。