2016年7月25日月曜日

弁護士らしい話し(其の19)

ペリリュー   パラオ
Peleliu と Palau
 

 昨(2015)年8月13日にNHK総合で放映された「狂気の戦場ペリリュー忘れられた島の記憶」という番組があります。

 南へ3200kmと言われています。東経135°、北緯7°くらいに位置していますから、文字通り当地からは真っ直ぐ南へ3000km余の位置です。 

 スペイン、ドイツに次いで、第一次大戦後、日本が国際連盟の信託統治をした島々です。 

 1944(昭和19)年4月に、中国の東北部(満州)から陸軍歩兵第2連隊が引き抜かれて、同地の防衛に当たることになりました。

 その頃までは、バンザイ突撃、玉砕、自決・・・という戦術が一般化していたのですが、以後は、「持久戦」、ともかく粘って抵抗し、敵の消耗を招く・・・というような考え方、戦術の転換が中央から命じられていたようです。

 ペリリュー島に設けた1600mの滑走路が、日米間の島の争奪戦の原因とか。 

 陸軍歩兵第2連隊ということですから、その員数は数千人、一方、攻め寄せるアメリカ軍は第1海兵師団ということですから、その数は1万人以上。そして、武器、食糧等の物量にも大きな差異・・・ 

 同年9月15日から始まった戦闘は、海兵師団長が当初3日もあれば攻め落とす、と豪語していたものが、結局、1124日までの攻防戦。死者は何れも1万名・・・

 この間、連合軍司令官ダグラス・マッカーサーは、結局、パラオ・ペリリューは飛び越し、同年1024日に、日本攻略の要石としていたフィリピンのレイテ島に上陸。

 かくて、東洋一と囃されていたペリリューの1600m滑走路の攻防は全くの無為。 

 昨年パラオ共和国を訪問の両陛下がペリリュー島で黙祷を捧げられる光景が報じられていましたが、七十二年を経過した今に至り、このペリリューの激戦を踏まえてのものであることを知りました。
 

 ところで、敗戦への足取りは、次の通り。題して、太平洋戦争敗戦史。
○ ミッドウェー海戦                1942年6月5日~7日


○ アッツ玉砕 Battle of Attu(アリューシャン列島)1943年5月12日~29
    陸軍第7師団の穂積部隊 独立歩兵第301大隊
                → 要塞歩兵隊2650
 ※「アッツ島玉砕」


○ キスカ撤退作戦(アリューシャン列島)      1943年7月29


○ トラック島空襲「海軍丁事件」          1944年2月17日、18

○ サイパンの戦い(ミクロネシア)         1944年6月15日~7月9日
     マリアナ諸島
    陸軍第43師団と第2、第4海兵師団&第27歩兵師団
 ※「サイパン島同胞臣節を全うす」


○ マリアナ沖海戦                 1944年6月19日、20


○ ペリリューの戦い                1944年9月15日~1124


○ レイテ沖海戦 Battle of Leyte Gulf       19441023日~25
    戦艦武蔵は、1024日に沈没


○ 硫黄島の戦い                  1945年2月19日~3月26

○ 沖縄戦                     1945年3月26日~6月23


 既に七月、次いで八月。八月に入ると、6日の広島への原爆投下、9日の長崎へのそれ、15日の敗戦・・・ということで、原爆の投下の故に、我が国が無条件降伏を促したポツダム宣言(1945年7月26日)を受諾したように一般的には受け取られているようです。 

 が、それは歴史的諸事実の直截な解釈とは言い難いようです。我が国の当時の指導者達は、一撃講和論と称される、せめて一矢を報いてから、有利な条件で講和に持ち込むべしと考えており、また、その講和の仲介をソビエト・ロシアに依頼し、期待していたようです。しかし、スターリンは、その前の2月のヤルタ会談で、ドイツ降伏後3か月以内の対日参戦を約束し、そして、現に、8月15日未明に戦端を開いて来ました。そこでポツダム宣言を受諾せざるを得なくなった、というのが歴史的事実です。 

 また、広島の原爆は、ウラニウム235爆弾であるのに対し、長崎のそれは、プルトニウム239爆弾です。その何れもを、既に始まっていた東西の対立に備えて実地に使用してみようという姿勢があったことは間違いの無いところでしょう。 

 我が国では、8月15日は終戦記念日と称され、恰も人為ならざる、自然現象であったかの如く事が終われりと表現されているように思われます。しかし、対日戦勝記念日Victory Over Japanは、どうも9月2日とされているようで、東京湾のミズーリ艦上での降伏条約の調印を以て太平洋戦争は終結した、という捉え方が我が国以外ではされているようです。

2016年7月7日木曜日

弁護士らしい話し(其の18)


文化財保護法・自然公園法・都市公園法について

 我が国で最大の湧出量を誇る豊後の国、大分県の別府の温泉地には、八ツの「地獄」という名所がありますが、そのうちで4か所だけが国指定の名勝ということを大きく謳っています。奇観を呈する自然湧出の源泉を指しています。海地獄、血の池地獄、白池地獄、龍巻地獄の4ツです。
 名勝というのは、景色のすぐれた土地という意味であり、法律的には、文化財保護法(昭和25年法律214号)に基づいて、文化庁が風致景観がすぐれ、学術的価値が高いものとして指定したものを指します。

 そして、この名勝の中の選りすぐりが特別名勝と言います。

 昨今は、ユネスコの世界遺産というのが世界的に有名ですが、国内的には、この文化財保護法に基づく、史跡、名勝、天然記念物は、見に出掛けるに十分に値するものを指していると言えそうです。

 また、自然公園法(昭和32年法律161号)では、優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄することを目的として、「国立公園」「国定公園」「都道府県立自然公園」の指定をし、保護と利用を図っています。
 名勝と特別名勝は、これらをオーバラップしています。
 国立公園は、現在32か所で、国土の5.6%を占めているとか。
 その外、少々紛らわしいものとして、国営公園があります。この国営公園は都市公園法(昭和30年法律79号)に基づくもので、同法は、都市公園の設置及び管理に関する基準等を定めて、都市公園の健全な発達を図る・・・としており、所管は国土交通省ということになります。
 具体的には全国に17か所あり、例示をすれば、次の通りです。
国営ひたち海浜公園
国営アルプスあづみの公園
国営木曽三川公園
淀川河川公園
国営飛鳥・平城京跡歴史公園
国営明石海峡公園
国営讃岐まんのう公園
国営沖縄記念公園    等々

 これらは、私自身、それとは意識せずに、これまで現地を訪れて初めて気付き、立ち寄ったことのあるところでした。何れも、自然公園とは雰囲気を異にしていますが、それなりに見物でありました。

2016年5月17日火曜日

弁護士らしい話し(其の17)

「天然記念物」について

 小笠原でアオウミガメの煮物を食べました。
 四国徳島の日和佐海岸では、アカウミガメが天然記念物として保護されていることとの関係が気になりました。
 そこで関係法令を改めて調べることにしました。

 一般的定義として、天然記念物、Natural Monumentとしては、動物、植物、地質・鉱物などの自然に関する記念物とされています。

 このような保護法で最も有名なのは、文化財保護法です。

 我が国では、1919(大正8)年に制定された「史蹟名勝天然紀念物保存法」から保護行政が始まったと言われています。1950(昭和25)年に、同法は廃止され、文化財保護法(昭和25年法律214号)に引き継がれました。
 文化財保護法2条は、「文化財」を定義しています。

 ①項4号では、次のように定めています。

  「貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡で我が国にとつて歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地で我が国にとつて芸術上又は観賞上価値の高いもの並びに動物(生息地、繁殖地及び渡来地を含む。)、植物(自生地を含む。)及び地質鉱物(特異な自然の現象の生じている土地を含む。)で我が国にとつて学術上価値の高いもの(以下「記念物」という。)」

  そして、第7章に「史跡名勝天然記念物」に関する規定があります。109133条に詳細な定めがあり、「記念物」のうち重要なものを「史跡、名勝又は天然記念物に指定する」また、これらのうち特に重要なものを「特別史跡、特別名勝又は特別天然記念物に指定する」とし(109条)、また、登録記念物(132条)についても、定められています。

 ウミガメについての天然記念物の指定は、具体的には、次のように場所と動物との両方でされているとのこと。
   昭和42(1967)年 「大浜海岸のウミガメおよびその産卵地」
   昭和55(1980)年 「御前崎のウミガメおよびその産卵地」

 ところで、我が国が締結し、批准している条約に「ワシントン野生動植物取引規制条約」があります。「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」というのが正式名称であって、Wild  Fauna Flora、つまり野生動物と野生植物が保護の対象となっていますが、「附属書Ⅰ~Ⅲ」において掲げるものについて、異なった規制の手法が採られることになっています。

 Ⅰでは、商業目的の国際取引を原則的に禁止したり、Ⅱでは、商取引に輸出国の許可を必要としたり、また、Ⅲでは、原産国が独自に決定することが出来るとするように異なったレベルの禁止、制限が定められています。
 ジャイアントパンダ、ツキノワグマ、オニソテツはⅠ、
 オオアリクイ、キングコブラ、マホガニーはⅡ、
 アカギツネ、ワニガメ、インドマキはⅢとされています。
 なお、我が国は、国内産業保護の観点からウミガメやタイマイ等については、従前規制を留保していたが、今日では留保を撤回しています。

 また、国内法としては、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」が1992(平成4)年に制定されています。第1条(目的)は、次の通りです。

  「この法律は、野生動植物が、生態系の重要な構成要素であるだけでなく、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのできないものであることにかんがみ、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存を図ることにより良好な自然環境を保全し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。」

 そして、規制と事業については、個体等の取扱いに関する規制(第2章、7条~)、生息地等の保護に関する規制(第3章、34条~)と保護増殖事業(第4章、45条~)とを定めています。

 ところで、「種」は「シュ」であって、SpeciesSeedではありません。ダーウィンの種の起源(On the Origin of Species by Means of Natural Selection)の種です、念の為。

 なおも余談ですが、ベッコウは、タイマイの甲羅を材料にしている細工品を指しています。が、ベッコウという言葉そのものは、鼈甲と書き、これはスッポンの甲羅を元々は指しています。「タイマイではなく、スッポンの甲羅を用いています」という虚偽の申し立てが横行した挙げ句、スッポンの甲羅ではなくて、タイマイの甲羅を指すように言葉が入れ換ったとのことです。

2016年4月26日火曜日

弁護士らしい話し(其の16)

漢文と法条文について
 
1、論語について
 渋沢栄一の名著「論語と算盤」を読みました。これを読む気になったキッカケは、渡辺京二著「黒船前夜」の中に、ロシアのゴロウニンと応接(その当時の実態は、「取り調べ」)をした松前奉行の教養、価値観について、その普遍性は、論語、儒教が基礎となっていたと評価されていたことによります。

 これらは何れも名著でした。目からウロコです。
 その繋がりから、この「論語と算盤」の解説を施している「二畳庵主人 加地伸行」という人物の本を読むことにしました。題して「漢文法基礎本当にわかる漢文入門」(講談社学術文庫)(全603頁)。
 すると、この本は、1984(昭和59)年以前に増進会出版社から刊行されていたことを知り、増進会出版社→Z会のものであることが分かりました。その設立は、1960(昭和35)年とのこと。
 団塊の世代には、真に懐しい響きのある「Z会」。
 今もって、その正体が十分に理解出来ている訳ではありませんが。
 そして、結局、加地伸行「論語 増補版」(講談社学術文庫)(全544頁)も読み直すことにしました。

2、漢文について
 1972(昭和47)年の日中共同声明以降、戦後の対中国政策は漸く転換しましたが、その頃、1960年代後半から「漢文」教育において、今から振り返ると大きな潮目があったようで、当時の高校教育における漢文の在り方は揺れ動いていたようで、どうも今思えば甚だ中途半端な教え方しかされていなかったようです。
「訓読」。漢文を日本語の文法に従って読むことが是か否か・・・踏韻を日本語の読みで教えられるのか・・・

 その一方で、江戸漢詩という日本文学をどのように捉え、評価するべきか・・・
 国語教師、漢文教師にとっては、冬の時代であったようです。
 これら錯綜していたであろう頃合に、加地氏は、文字通り勇猛果敢に活躍しておられたことを今に至り漸く知るに至りました。どこか懐しいZ会。
 漢文⇔日本文、時として、英文法、英語の表現とも比較・・・
 言語、表現の持つ意味を見事に解析して呉れています。希れに見る名著です。そして、このような名著が世に出たのが197080年代であった、というのが大いに面白いところです。

 ところで、「漢文」という言葉を改めて広辞苑で引くと、次のよう。①中国古来の文章・文学。現代中国語文に対していう。②わが国で、①にならって書いた、漢字だけの文章。変体漢文を含んでもいう。
 そして、この「漢文」を日本語の文法にしたがってよむことを「訓読」。
 であってみれば、「訓読」は、中国語から日本語への飜訳でもあることになります。

3、法条文について
 現行の民法(明治29年法律第89号)は、平成16年、17年に全面的に口語化されました。
 口語化された民法4条は、「年齢二十歳をもって、成年とする」としていますが、これは以前「満二十年ヲ以テ成年トス」という文語体を改めたものです。
 が「以テ」を「もって」と改めても、文語体、つまり漢文体の名残りが色濃く残っています。
 法律の文章には、このようなことが山ほど有ります。

 口語化される前の民法は、その第1条で次のような規定を置いていました。
「①私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
 ②権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
 ③権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」
 これらは、口語化されて、次のように改められました。
「 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
 ②権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
 ③権利の濫用は、これを許さない。」

 第3項は、「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」を「権利の濫用は、これを許さない」としたばかりで、「之(これ)」という漢文調を引き摺っています。「権利の濫用は許されない」というのが最もシンプルな現代語の筈と思われますが・・・

4、余談
 このように我が国の文化の背骨に当たる部分には中国語、漢字、漢文の影響が大きく働いており、1842年阿片戦争・南京条約から1949年中華人民共和国の設立までの侮りの一世紀の意識からは、最早脱却するべきでしょう。

2016年4月20日水曜日

弁護士らしくない話し(其の16)

小笠原諸島
 
 思い立って、小笠原の父島と母島の山に登ってきました。
 母島は、乳房山(標高462.6m)、父島は、中央山(標高317.9m)。
 東京港の竹芝桟橋から6700屯の定期船で行きは、26時間40分、帰りは、25時間20分かかりました。公称・原則では、所要25時間半とのこと。
 この船は今年7月に新造船と交替するそうで、「高速化」と謳われていますが、25時間半が24時間、丸一昼夜に若干短縮するばかり。

 ところで、小笠原諸島は「海洋島」ということで、形成されて以来一度も大陸と繋がったことが無い、という特徴があり、ガラパゴスやハワイの諸島と同じ形態のものとか。
 日本列島そのものは、南西諸島を含めて、何れも大陸から切り離された「大陸島」とのこと。
 従って、その動植物には、独特なものがあり、これら全体が世界遺産とのこと。
 先の大戦の末期には、島民の全員を本土に強制疎開させたことから、一時期の米軍統治を経て、本土復帰(1968(昭和43)年)後は新しい住民が相当数流入し、只今は生計を営んでいる様子。

 ネーチャーガイドの人達も、ここ2~30年来の新規住民の模様で、母島のガイドの茂木(もぎ)雄二さんは、埼玉から32年前(1983(昭和58)年)に移り住み、農業・観葉植物栽培が本業(「茂木永楽園」)。父島のガイドの原田龍次郎さんは、それよりも古い1973(昭和48)年からの静岡県浜松市からの移住者で、ガイドの草分けで、メインの仕事は、環境省の自然保護の現場チームで、外来種の駆除作業・野猫の捕獲に従事とか。また、自然観察路の整備の仕事も。同氏は、ペリーの「日本遠征記」の挿絵(エッチングの原画)の収集にも努力。

 ところで、このような小笠原村は、三宅村、御蔵島村、23区と並んで、東京簡易裁判所の管轄。隣りの八丈島には、家裁の出張所と簡裁が置かれているものの、この八丈島からも約700km離れており、40フィート級のプレジャーボートでも、丸一昼夜かかるとのこと。
 なお、行政的には、東京都小笠原支庁の管轄。
 なお、東京都には、外に支庁が、大島支庁、三宅支庁、八丈支庁の3ツ有り、一方、警察署管轄では、大島警察署、新島警察署、三宅島警察署、八丈島警察署と小笠原警察署です。走っているクルマのナンバープレートは、「品川」。

2016年3月17日木曜日

弁護士らしくない話し(其の15)

隣りの国の話し

  隣りの半島国家の話しをするのは、どうも結構難しいことのようです。
 1910年から1945年までの間の問題が難しいからではなく、むしろ専ら無知であるにも拘わらず、無知を認識することなく、感覚で以て情感に根差した物言いをするからのような気が最近頓みにしています。

「岩波新書」の昨年の大佛次郎賞受賞の自伝的回想記を読みました。
 四・三事件、正確には済州島四・三事件とは何であったのか、文字通り生き証人の言葉が綴られています。
 先年、映画「チスル」を観ていたのですが、改めて1948年の困難な歴史を知りました。

 この隣国では、三・一運動を始め、6・25事変まで月日で以て歴史的事件を表現することが多いようです。

  1)三・一運動 Sam-il-undong
                 サ  ミ  ル  ン  ド  ン
     1919年3月1日に起こった独立運動。
     三一節として祝日。

  2)済州(島)四・三事件
                   チェジュ              サ       サムサコン
     1948年4月3日に起こった島民の蜂起に伴い1954年9月21日までの
    間に引き起こされた一連の島民虐殺事件

   3)麗水・順天事件
           麗順14連隊反乱事件
          ヨスンシプサヨンデパルランサコン     
     19481019
     1019事件

  4)朝鮮戦争
     1950年6月2553年7月27
          6・25事変
          ユギオサビョン
  
 その一方で、「冬のソナタ」は知りませんが、その近現代史の映画は、何れもがそれなりに考えさせて呉れるものでした。

  1)2004.10  (2003)シルミド Silmido
              実尾島事件(1971年8月23日)

  2)2011.2  (2010)戦火の中へ(71 In to the Fire

  3)2014.3~4(2012)チスル(ジャガイモの意)
              済州島4・3事件(1948年4月3日)

  4)2015   (2013)赤い家族(Red Family

 
 明治43(1910)年以降の大阪では大正区への流入は知っていたものの、昭和23(1948)年以後に沢山の人達が流入したという事情を初めて知りました。

2016年3月2日水曜日

弁護士らしい話し(其の15)

元弁護士の犯罪

   大阪の弁護士であったNは、2007(平成19)年6月に非行とその隠蔽工作を理由に除名処分を受けました。が、このような大阪弁護士会の処分について、日本弁護士連合会に審査請求をし、棄却されると、次は、東京高等裁判所に処分取消しを求める訴訟を起し、これが棄却されると、更に、最高裁判所に上告受理申立をするも却下され、2010(平成22)年7月に弁護士名簿から抹消。

 税理士の息子として、銀の匙を銜えて生まれ、蝶よ花よで育ったものか、どうも自らを律すことが出来ず、放逸に流れたよう。と思いきや、只今の年齢から逆算すると弁護士になったのは、平成4(1992)年ということで、約24年前、そのときの年齢は、39歳か。ならば、長期間の刻苦勉励か、甚だしい鬱屈か・・・果たして、その間に社会人としての訓練の程は・・・

 2016(平成28)年2月に横領容疑で逮捕されたとの報道。

 除名処分を受けて、9年弱、登録抹消からは、6年半。
 15年間程弁護士として働き(平成4(1992)年の登録)、処分を受けて6年半・・・
 それでも市民は、このような元弁護士を信用して、虎の子を預けるものか・・・
 甚だ複雑な思いを禁じ得ません。
 弁護士歴が信用されたのかどうか・・・
 何故に弁護士ではなくなったのか?!は問われなかったのか、問題とはされなかったのか・・・
 只々、人は変わらないものか・・・と慨嘆するばかり。
 かく程、世間の人達は、亡くした肩書きでも、元弁護士を信用するものか・・・
 以て、他山の石。その信用に値する振る舞いを!

 因に、弁護士法7条3号は、懲戒の処分で弁護士を除名された者は、弁護士となる資格を3年間は有しないと定めています。が、事実、非行を理由に除名された者を弁護士会は受け容れることには非常に慎重です。