2015年10月16日金曜日

弁護士らしい(?)話し(其の10)


感じる速度と思考に要する時間

 ヒトの思考は、デジタルの時代において、どこまで通用するものか、信頼し得るものか・・・

 ヒトは物を感じるには一瞬で足りるものの、物事を考えるにはそれなりの時間を要するということを昨今痛感しています。
 デジタルの時代、ネットの世界で炎上なり、罵詈雑言が瞬時に飛び交うのは、得てして、このような点に原因があるのではないでしょうか。
 感じるのは瞬時、しかし思考するには文字通り熟慮する時間を要します。問題が深刻であればある程、それに対する処し方には熟慮黙考を要する筈!?にも拘わらず、ヒトは驚愕すると合理的思考よりは感情的対応をするもののようです。考えに考え抜くと、翌日になって、或は数日して、ふーっと解決への道筋が見えて来たりします。
 このように、感じることと考えることの関係を考えています。

 そこで話しが飛ぶようですが、視覚に訴える情報の中で、文字情報と図像情報、映像情報との関係を考えたときに、何れの訴求力がどのように優るのか・・・
 報道写真には、Captionが要る、という話しがあります。
 写真を写真だけから正確に理解することは不可能であり且つ危険なことです。
 植田正治(注1)の鳥取砂丘の写真は、見事なものですが、ある意味では写真のトリッキーさを縦横に駆使しています。
 スペイン内戦のロバート・キャパ(注2)の写真、「崩れ落ちる兵士」については、近時、実は・・・という話しが説得的に語られています。
 責任ある、真っ当うなキャプションを抜きに、写真だけで物を考えることは物事をミスリードする、ということを教えています。

 が、只今の時代は、映像、視覚に訴え掛けて来るものに満ち満ちています。その一方で、そのトリッキーさも若い人達を中心に十分に認識されつつあるように思われます。
 それでも各種の報道映像は必ずしも十分なキャプションが付せられないまま洪水のように迫って来ています。
 そして、それは視覚に、感性に訴え掛けます。
 そのような渦の中で、先ずキャプションを確認し、時間を掛けて思考し、判断を下して行くことがどうしても必要な筈です。
 その為にも、時として、情報については、進んでこれを遮断し、自らの頭脳で以て考えを巡らし、考え抜いて、判断して行くことが肝要となります。





(注1)うえだしょうじ(19132000年)は、日本の写真家。鳥取砂丘を舞台にした砂丘シリーズで有名。


(注2)ロバート・キャパ(191354年)は、ハンガリー生まれの報道写真家。

   スペイン内戦、北アフリカ戦線外の戦争を取材するも、インドシナ戦争で地雷で爆死。