2018年12月20日木曜日

弁護士らしい話し(其の32)


最近の地方裁判所と家庭裁判所の事件数

 最高裁判所の事務総局という部署から、「裁判所データブック2018」が去る10月に刊行されています。

 
 これを仔細に見て行くと興味深いところが色〻と有ります。
 地方裁判所での民事の通常事件での「新受」、つまり、一年間に新たに申し立てられた事件数は、平成21(2013)年にPeak-Outした模様。Peakは、23万5千件!
 それが平成29(2017)年では、14万6千件。Peak時の62%余の数字。
 平成16(2004)年4月には、人事訴訟事件が地方裁判所から家庭裁判所に移管されたという特異な経緯がありましたが、それでもなお5年余は事件数は増え続けたものの、Peak-Outした後は、直近、平成29(2017)年の数値は、その20年前の平成9(1997)年のそれに近いもの。

 
 その一方で、新たに弁護士となった人達の員数は、平成5(1993)年までは、年間で3百名台、次いで、平成17(2005)年まで、順次1年毎に4百人→5百人→6百人→7百人→8百人→9百人と漸増し、平成18(2006)年には1254名も!
 かくて、良くも悪くも、弁護士は、裁判以外の分野に進出して行き、その広告、売り込みも激しくなり、一方で、タレントと見紛ふような御仁も数多・・・
 そして、甚だ残念乍らも、クライアントとの金銭を巡ってのトラブルも往〻耳にするところとなり果てつつ・・・

   ところで、只今の時代、増加一方の事件類型は、家庭裁判所における、夫婦間、相続人間のトラブルの模様。その件数は、平成15(2003)年以降、年間13万~14万件の調停事件がドーッと押し寄せている状況。
 これらは1年間の新受事件の件数であるところ、これらと略同数の既済、つまり裁判所で一応の結論が出された事件があるところ、その結論の状況は、半数強が調停成立とされる一方、4分の1程のケースは落着出来ず・・・と知られるところ。

 以上が「裁判所データブック2018」から知られる、通常の民事事件・家事事件のラフ・スケッチです。
 

2018年12月19日水曜日

弁護士らしい話し(其の31)


1214日の横浜地裁の判決-東名あおり運転事件-

「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」(自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律第2条第4号)に当て嵌まるかどうかが問題になりました。
 
 あおる、煽る、という言葉は、他動詞であって、「風や火の勢いで物を動かす」と第一義的にはされています(広辞苑)。
 その中で、二番目以降、三番目に「そそのかす」「煽動する」の意とされています。
 
 そして、法律家の世界では、公務員の争議行為の禁止に関連して、争議行為・怠業的行為をそそのかし若しくはあおってはならない、という罰則付の規定をめぐって、昔(昭和40年代ですから、半世紀も前)によく問題となり、言葉自体、それなりに知られていたものでした。
 
 が、只今、問題となっている「あおり運転」なるものは、果たしてどこまで言葉、概念として確立しているものかどうか、疑問です。
 そして、具体的な罰則としては、「危険運転致死傷罪」の適用が問題となるばかりです。
 道路交通法に、あおり運転という定義なり、概念が規定されている訳ではありません。
 典型的なものは、「車間距離の不保持」であって、これは道交法119条1項1号の4や120条1項2号に罰則があります。
 が、ともかく今回問題となったのは、危険運転致死傷罪の成否です。

 
 ところで、平成25年以前は、交通死亡事件等について、罰則としては、刑法の業務上過失致死罪の成否が問題とされていました。
 その後、平成25年に法改正があり、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(平成25年法律6号)というものが出来て、「危険運転致死傷罪」と「過失運転致死傷罪」とに大別されました。

 そして、今回のケースで問題となったのは、同法2条4号の「・・・走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の・・・車に著しく接近し・・・自動車を運転する行為」という定義(「構成要件」と言いますが)の「運転する行為」に該当するかどうか?であったようです。

 
 事故が発生した瞬間は、被告人は、クルマの運転をしていなかったから、危険運転致死は成立するべくもない、というのが弁護人側の主張でした。
 一方、検察側は、「高速道路上での停車」を問題にして、停車もあおりに当たる、としたようですが、裁判所は、これは認めず、そこに至る「一連の行為」をあおり運転と認定し、停車と追突、死亡との密接関連性を認め、一体として成立を認定したようです。

 一法曹としての感想としては、検察の主張、つまり高速道路上での停車は、一般的には、自らに危険を招く行為であって、他者に危険を招来するかどうかは、それこそ状況次第と思われます。
 刑罰を以て禁圧しようとする法律の規定の、解釈、適用は、ある意味予測可能な、また、合理的なものであるべきです。
 趣旨としては、一緒だから・・・というような考え方は原則として排除されるべきです。
 であってみれば、停車が他車に直ちに危険を招くから、犯罪成立!?というのではなく、今回の判決で述べたように、被告人の行為は、前後一連の総体において、犯罪が成立する、とでも言う外なかったように思われます。

 尤も、4号が「運転する行為」としているのに対し、停車させたばかりで運転していない、というのも団子理屈・・・
 追っ付け、刑事法の専門家諸氏が必ずや活発に議論を展開する筈ですので、乞う御期待というところでしょうか。
 
 一方で、「高速道路上での停車」を危険運転行為とする法改正が行なわれるような話しも現に有るようです。

2018年12月17日月曜日

弁護士らしい話し(其の30)


司法取引と弁護人の立会権

 司法取引というものは、英米法系の法概念のようです。
 司法取引は、米語では、名詞では、Plea Bargaining、動詞として、司法取引をする、というのは、plea-bargainと表現します。
 bargain、この言葉の元〻の意味は、交易、取引を指したようです。
 我が国では、バーゲン・セール、安売り、見切り販売を指しますが、英語のBarが法廷を指すこともあることから、これは刑の量刑の叩き売りではない筈です。
 しかし、それでもplea-bargainというのは意味深です。
 ところで、英語で法廷を意味するBarは、仕切り柵としてのBarがあることから生まれた言葉と言われています。
 Bargainは、このBarGainとの合併語と思いきや、語源、詳細は不明であるが、ともかくこの一語は、もともとは契約の意味で、後に安い買物、特売品を指称するようになったとのこと(語義語源辞典に拠れば)。

 扨、今話題の司法取引は、刑事訴訟法350条の2が次のように規定していることに拠ります。

「検察官は、特定犯罪に係る事件の被疑者又は被告人が特定犯罪に係る他人の刑事事件(以下単に「他人の刑事事件」という。)について1又は2以上の第1号に掲げる行為をすることにより得られる証拠の重要性、関係する犯罪の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者又は被告人との間で、被疑者又は被告人が当該他人の刑事事件について1又は2以上の同号に掲げる行為をし、かつ、検察官が被疑者又は被告人の当該事件について1又は2以上の第2号に掲げる行為をすることを内容とする合意をすることができる。
1 次に掲げる行為
イ「被疑者の出頭要求・取調べ」又は「第三者の任意出頭・取調べ、鑑定等の嘱託」による検察官、検察事務官又は司法警察職員の取調べに際して真実の供述をすること。
ロ 証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること。
ハ 検察官、検察事務官又は司法警察職員による証拠の収集に関し、証拠の提出その他の必要な協力をすること(イ及びロに掲げるものを除く。)。
2 次に掲げる行為
イ 公訴を提起しないこと。
ロ 公訴を取り消すこと。
ハ 特定の訴因及び罰条により公訴を提起し、又はこれを維持すること。
ニ 特定の訴因若しくは罰条の追加若しくは撤回又は特定の訴因若しくは罰条への変更を請求すること。
ホ「最終弁論」による意見の陳述において、被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること。
ヘ 即決裁判手続の申立てをすること。
ト 略式命令の請求をすること。」
「②前項に規定する『特定犯罪』とは、次に掲げる罪(死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たるものを除く。)をいう。」
として、その3号は、次の通り定めています。
「3 前2号に掲げるもののほか、租税に関する法律、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)又は金融商品取引法(昭和23年法律第25号)の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの」

ここに「金融商品取引法(昭和23年法律第25号)の罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの」という点が只今話題のもの。政令は、平成30年政令第51号です。

 これに関しては、実務家の意見も岐れ気味のようであって、ある意味、古いタイプ、或は伝統的な法意識の下では、所詮形式犯ではないか・・・という言い方もされている一方で、その及ぼす影響は少なからざるものがあると強く指弾されるべきともされているようです。
 しかし、この事件の余波としては、この捜査は、改めて我が国の刑事司法制度が所謂先進各国の水準からはかなり懸け離れているのではないか・・・という疑問、非難に晒されている点で興味深いところです。
 それは、身柄を拘束された被疑者の取り調べには、弁護士・弁護人の立ち合いを認めるのが世界標準ではないのか!?との指摘です。
 憲法で基本的人権に関する規定は、次の通りです。

31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

 依頼する権利は認めるが、弁護人は、取り調べに立ち会えず、とするのが、只今の我が国の水準です。
 これは、どうも最早先進各国の水準からは、かなり劣後しているように思えてなりません。

2018年10月12日金曜日

弁護士らしくない話し(其の28)


帝国と皇帝とは別!?

 古代ローマは、王政→共和政→帝政の順番で推移したとのこと。

 共和政から帝政へ、というのは?この背景事情がどうにもスッキリとは胸に落ちぬまま、齢を重ねて来ました。
 塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでも、その後に著した「ギリシャ人の物語」を読んでも、どうにも今一得心が行かないままでした。
 共和政の不効率とか、ギリシャの場合は、衆愚政に堕したから・・・とかは、一見それなりの説明とは思いつつも、スッキリ得心出来ないままでした。
 勿論、近くは、18世紀、19世紀、革命後のフランスに、ナポレオン・ボナパルトが現われた事実。そして、その後も、これはナポレオン三世の帝政にまで至ったという事実。

 英国の女流研究者(Mary Beard)が著した「SPQR(注1)ローマ帝国史」1、2巻、全723頁を読みました。扱われている時代は、B..63年からA..212年。「カティリナの陰謀」から「アントニヌス勅令(注2)」まで。

 1979年公開のメル・ギブソン主演の映画マッドマックスでは、近未来が荒廃した世界として描かれ、1981年のマッドマックス2(注3)1985年のマッドマックス/サンダードーム(注4)2015年のマッドマックス/怒りのデス・ロード(注5)、これらの近未来像は、何れもが荒廃した世界ということです。
 何故に、明るい未来像が描かれないのか?
 化石燃料の枯渇と核攻撃の応酬・・・どうにも、欧米系、ハリウッド系の映画にては、未来像は暗鬱なものである様子。

 東洋には、桃源境とシャングリラという理想境がある一方、欧米系は、アダムとイブのエデンの国からの追放以来、その理想境は、未来に描かれるのではなく、過去を遡って追憶する形であることが多い模様。

 これは一説によれば、農耕社会は、稔り豊かな未来像を将来に向かって描き得るのに対して、狩猟社会では、獲物は減少して行き、理想境は過去を振り返ることによってしか得られないから、とか。

 マア凡庸な理想境話しに耽るよりは、「SPQRローマ帝国史」全2巻は、多くのことを考えさせて呉れました。
 共和政は、エゴの衝突と貧富の格差に喘いでいたこと。
 ローマ人が求めていたのは、只〻自由であったこと。
 人というものは、何と愚かしく、又何と愛すべきものであるか、を。
 ギリシャとローマの違いを改めて考えるには、プルタルコスの「対比列伝(英雄伝)」を丁寧に読まなければならない、とも。

 そして、その後、カエサルのガリア戦記を読みました(中倉玄喜(訳)「〈新約〉ガリア戦記」2008年2月27日 PHP研究所刊)。
 すると、学生時代の騒がしかった頃、口〻に叫ばれていた(アメリカの)帝国主義反対!とのシュプレヒコール(独語 Sprechchor 朗読的合唱)の中の帝国主義の意味を改めて考え、漸くその一端が理解出来たように思われました。

 皇帝が頂点に立つから、帝国なのではない。
 国が他の国の上に立つから、これを以て帝国主義と称し、民主主義国家、国内的には民主主義が貫徹されていようとも、他国をその支配に置くから、これを以て帝国主義と表現する、という当たり前の事を漸う漸う語義として理解しました。

 そして、ローマ帝国は、カエサルの後、甥のオクタヴィアヌスがアウグストゥスとして元首政(プリンキパトゥス)を敷き、皇帝が続いて、文字通り皇帝の統括するようになった後は勿論ながら、それ以前の共和政(レス・プブリカ)と呼ばれた時代も、帝国であったという事実も、やっと理解しました。



(注1) Senatus Populus Que Romanus
(注2) 帝国居住の全自由民にローマ市民権を付与。帝国の都市国家的な名残を消滅させた。
(注3) 枯渇した石油を巡っての、石油精製所の取り合い。
(注4) 核戦争後の世界。
(注5) 核兵器による大量殺戮戦争後の汚染された世界。

弁護士らしい話し(其の29)

「日本史の論点」と題する中公新書編集部編の新書全269頁(8月25日発行)を一気に読みました。
 副題「邪馬台国から象徴天皇制まで」ということで「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の5ツの区分で各5~7の論点、合計29の論点について、最近熱い議論が要領良く紹介されています。

 古代から中世へ。その節目は、源平の合戦。僧慈円の「愚管抄」に「武者(むさ)の世」の到来との嘆き。
 中世から近世へ。その節目は、秀吉の天下統一。惣無事令(1585年)。
 近代から現代へ。その節目は、第二次世界大戦。終戦ならぬ敗戦(1945年)。

 ところで、現代では、どこまでが戦後か。
 かの有名な「もはや戦後ではない(1956年「経済白書」)」は、戦災からの復興の、その先にある危機感の発露。

 日本語では、「近代」と「現代」。英語の表記では、Recent-ModernThe PresentModern Times)。(ランダムハウス英和大辞典では、Modernとは、Middle Agesに続く、近世の、近代の・・・意とか。真に広義?!)。
 近世 Early-Modernは、その前が、中世 Middle-Ages。更に、その前は、古代 Ancient Times
 これらの区切りが、日本史研究の中で、改めて問われているようです。

 扨、近代と現代の岐れ目は、どこか?
 我が国では、第二次世界大戦の終結を以て、これに当てておいて、概ね間違い無い模様。
 その中で、では、近代日本とは何であったのか?どのように総括されるべきか??これは真に刺激的なところのようです。

 が、ここで法律家として、最も瞠目したのは、明治国家は、大日本帝国憲法の19条において、次のように謳っていたところです。
「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」文官、武官の公務員になる権利!です。

 明治憲法は、勿論、三権分立ではなく、全7章、76か条。
 日本国憲法は、全11章、103か条。
 この中に、明治憲法19条は、一種独特、そして皮肉な言い方では、唯一の平等条項として、立身出世主義、その頂点は、官僚、軍人であることを称揚していたということです。
 これは、明治憲法体制が行政優位の制度であったことを名実共に裏付け、果ては、近代以降の日本人への精神性を縛って来ているように思われます。
 ともかく、歴史の評価、考察は、大いに変化するものであり、変化するところが、大変興味深いところです。

 更に、歴史についての改めての考察、評価という点では、中公新書「日本統治下の朝鮮」― 統計と実証研究は何を語るか ― 全224頁(4月25日発行)も非常に興味深いものでした。
 国際経済学・開発経済学の研究者木村光彦による、191045年、つまり、(悪名高き)日韓併合から第二次大戦の敗戦(終戦と珍妙に言い換えられている)までの、統計資料を以てした考察です。
 その内容は、真に刺激的であります。
 中公新書「中国経済講義」─統計の信頼性から成長のゆくえまで─全272頁(9月20日発行)も大変刺激的でありました。1970年生まれの神戸大学教授梶谷 懐のクールな分析が考えさせて呉れます。

2018年10月1日月曜日

弁護士らしくない話し(其の27)— 山のはなし —


 今年の夏は、逆走台風の12号が東から西へ日本列島を横断(7月末)。そして、21号は、「第3室戸台風」とも名付けられたとか、近畿地方を直撃、果ては北海道にまで被害を。
 先日、京都の西北、栂尾の高山寺へ明恵上人の跡を訪れるべく出掛けたところ、高山寺の境内の大杉が相当数倒れ、極く一部を除いては、立入禁止。
 とにもかくにも、台風の当たり歳と猛暑、酷暑の夏でありました。 

 この夏の終わりに、敬愛する山仲間へ出した便りです。ジョン・クラカワーという登山家・ジャーナリストと、我が国最大の山岳レースTJARを4連覇した消防士さんの話しを知って貰えれば幸いと考え、紹介をさせて貰います。
 以下が便りの本文です。 

 北海道では、早や降雪とのこと。
 秋の彼岸も過ぎ、めっきり日没も早くなって参りました。 

 此の夏は、山らしい山には出掛ける機会を得ず、結局のところ、テレビBSで紹介される各地の山の便りと、書物での山の話しに触れるばかりでありました。 

 登山家・ジャーナリスト・作家に、Jon Krakauerという米国人がいます(1954年生)。
 最初に読んだのは、1995年5月のエベレストでの大量遭難に現に遭遇した際のルポタージュの「空へ」(注1)であり、次には、若者の失踪を扱った「荒野へ」(注2)。そして、「信仰が人を殺すとき」(注3)というモルモン教をめぐるノンフィクションでした。
 今回、偶〻見つけた朝日文庫の「エヴェレストより高い山」(注4)(文庫本 320頁、2018年6月30日)を読み進めています。山に登れない状況でも、山が大いに楽しめるように思っています。

例えば、Boulder(或は、Bowlder)は、若者の登攀競技で近時有名ですが、もとの意味は、地質学的には、直径が256㎜より大きい、巨礫を指すとのこと。10inchなれば、254㎜のような気もしますが・・・
これが転じて、角の取れた巨岩を登るスポーツをボルダリングと言うようになったことを知りました。

(注1)副題「エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」199710月 文藝春秋刊 B6 396
(注2)2007年3月 集英社刊 文庫 334
(注3)2014年6月 河出書房新社刊 文庫 338頁+298
   1984年7月、米ユタ州のアメリカン・フォークで24歳の女性とその娘が熱心なモルモ
           ン教信徒に惨殺された。理性と信仰、原理主義と人間の倫理の問題など宗教の深い闇
     に迫ったノンフィクション」
(注4)解説を角幡唯介(1976年生)という、今評判の(?)冒険家・探検家が書いてい
          ます。

 TJARについては、2014年はスタートの見物に出掛けたところであり、2016年、2018年は、若しかすれば、御覧になっておられようものかとも思っています。
 ここのところの連続優勝者の、静岡の望月将悟氏については、前回2016年に、4日と23時間52分という大会記録を打ち立て、4連覇した後、今年は「(食料持参)無補給(水以外)」にて、結局、第7位にてフィニッシュ(6日と16時間7分)。制限時間は、8日間=192時間。
 この望月氏について、今年の夏には、「山岳王 望月将悟」という少〻キワモノ風なタイトルの取材本が出版されていました。(ヤマケイ)

 結局のところ、此の夏は、御目にも掛かれず、残念でありましたが、又宜しく御願いします。

2018年6月8日金曜日

弁護士らしくない話し(其の26)


最近の思いを2ツ述べさせて貰います。

1)考えるということ
考えるということは、問題の解決方法が無いこと、或は、課題に対処する術が確立していないこと、との哲学者の言が新聞で紹介されていました。
哲学者の鷲田清一氏の朝日新聞のコラム(「折々のことば」2018年5月30日)です。
解決の方法、対処の仕方が確立しているならば、アレコレ考え込む必要はない。考えるということは、未知の問題に臨んだときに求められる対応ということか。
それを称して、「考えることは雨乞いのようなものである」と。

すなわち、考えることと、その結果、結論との間には、必然の関係が有るのか、無いのか・・・
それでも、人の武器、利器としては、情報を集め、分析し、考えることしか無い筈・・・

かくて詰まるところ、考えることと、解決に向かって行動を起こすこととの間には、依然、千仞の谷が有るものの、思い切ってジャンプすることが必要の筈。
さすれば、どこかで思いを切り、決断し、行動に移るべき時が訪れることに!!

つまり、考えることのみを以て、事は終わるのではなく、何処かで考えることを止めることも必要な筈。


2)山で道に迷ったら・・・
山登りをしていて道を見失ったら・・・
ヒトは、どうしても里の方向へ足を向けたくなるもののよう・・・
それは、迷い道から脱出する術とは、どうも反対のもののよう・・・

山道は、原則として稜線を辿るようにして切り開かれているのが原則形。
途中で道を見失ったときは、より高い場所、稜線を目指せば、山道に出るのが極く一般的。

然るに、迷ったときは、山奥ではなく、里へ出たいという気持と、登るよりは下る方が楽であるという気持とが相俟って、怪しみつつも、より低い方向へ至る踏み跡をどうしても辿り勝ち。

しかし、山道を見失なったときは、下るよりはシンドイものながら、上方、より稜線に近いところへ、勇躍登るのが手堅い対応。

今年の黄金週間の後半は、全国的に悪天候に見舞われ、新潟県阿賀野市の山で、小1の子供と父親が凍死(低体温症)したという報道に接し、真に哀しく胸潰れる思いを強くしました。只〻冥福を祈るのみです。
合 掌

2018年4月4日水曜日

弁護士らしくない話し(其の25)


今生きている時代というもの

 時代というのは、それを現に生きている、そのときには、よく分からないものです。
 今生きている時代というものの意味、その位置付けは、大部時が過ぎてからしか分からないものであることが一般のようです。

 しかし、佳き著作を読んでいると、只今生きている時代とは、こういうものであるのか・・・と気付かせて呉れることがあったりします。
 トランプなどという人物が大統領になるなどということは、凡そ合理的には予想出来ないところであったように思われますが、それでも人類の歴史の中では、これはこれで決してあり得ない話しではなかったようです。

 塩野七生は、ヴェニスの歴史を著して世に出た人ですが、その後、中世ヨーロッパを書き、ローマ人を書き、遡ってギリシャ人を描いて、アレキサンダー大王を以て、大部の小説については、以後擱筆しました。
 今年1月に、ギリシャ人の歴史の第3巻を書き上げました。これは、アレクサンダーの物語です。この前は、1年強前の2016年に、いわゆる衆愚政治の時代を描いています。アルキビアデスの時代です。民主政、その華かなりし頃合(BC460ころ)から、その後、半世紀が経つや経たないで、一挙にギリシャ人が劣化したのか、揃って愚劣になったのか・・・
 依然ギリシャ人はギリシャ人であって変わってはいない筈。では何が・・・ということを考えさせて呉れます。

 その延長線上で、中公新書の新刊で面白い本を見付けました。「戦前日本のポピュリズム」筒井清忠著・2018年1月刊です。
 1905年の日比谷焼き打ち事件を日本の戦前のポピュリズムの嚆矢として、その後、日中戦争、日米戦争へ至る道程を説いています。
 朴烈怪写真事件というような、それなりに知られてはいるものの、その意味合いは、そのとき生きていた人達にしかよく分からないような事件も有れば、その後の大戦への道筋を付けたと言われる統帥権干犯問題なるものも、詳しく紹介され、その位置付けが行なわれています。
 治安維持法とセットで成立した普通選挙が大衆デモクラシーの時代を拓き、政党政治の混乱、混迷を招き、そして、破局・・・

 ポピュリズムとデモクラシーの関係が興味深いです。
 アメリカ独立革命とフランス革命の標語は、代表無ければ課税無し!でした。
 階層というマスの人の集団と代表ということがテーマでした。が、今日、階層というような塊りで人を捉えることは難しいです。人の集まりは様々に分裂し、また、様々な場面で複合的に、複数の集まりに重層的に帰属し、或は帰属しなかったりします。大国アメリカの大統領の言説は、ツィッターで恰かも個人対個人の言説のようにして流されます。大衆は、摑み切れない砂粒のようになる一方で、ITが個々人を適切に掬い上げているかの如き誤解が罷り通っているように思われてなりません。