2019年12月10日火曜日

弁護士らしくない話し(其の33)


     スフ、Staple、砂糖 商品経済

 幕末の長州に、周布政之助(182364)という藩政改革の指導者と、「航海遠略策」を唱えた長井雅楽(181963)という志士の魁がいたとか。
 尊王攘夷が、その後は、尊王開国に転じるような往時の剣呑な時勢に、結局は、呑み込まれ、何れも自刃。

 周布は、地名から発しており、愛媛県には、周布郡が嘗って有り、また、島根県浜田市には周布川があるとの由。

 片仮名で、スフと書くと、これは人絹、ステープル・ファイバーを指していたとのこと。
 人絹は、人造絹糸の略。レーヨン Rayonの語の由来は、その光沢から、フランス語の光線を表わす語から派生したとのこと。
 ところで、Staple Fiber。これらは2語の英語で、訳すと、何れも繊維を指すということで、重ね詞、濡れにぞ濡れし、の類い。 

 以下、本題です。
 このStapleという英語をランダムハウス英和大辞典で引くと、次の2義が紹介されています。
1 とじ金、ステープル:書類とじや製本に用いるホッチキスなどに使うU字状に曲げた針金。
2 ①《通例 Staples》《主に米、カナダ》(ある国・地方の)主要産物〔製品〕
  ②(市場の)主要産品、固定需要〔信用〕商品、基本〔必需〕食品
 
 三省堂の英語語義語源辞典に拠れば、この後者の語は、古フランス語のestaple=市場に由来するとの由。  

「砂糖の世界史(川北 稔著、岩波ジュニア新書)」を偶然本屋で見掛けて、読みました。(これは、今年のジュニア向けのベストセラーとのこと。) 砂糖は「世界商品」であった!この「世界商品」なる語は、広辞苑には出て来ない用語です。英語では、Staple!そこで、ランダムハウス英和辞典の字義その2に至ります。主要産物、主要商品と邦訳されています。

 ところで、砂糖黍、甘蔗は、熱帯で大規模に栽培されています。いわゆるPlantation、熱帯・亜熱帯地域において、近世の植民制度の下、単一作物の大規模農場です。Monoculture、単一農作物栽培です。
 商品作物を大規模に生産する一方で、その栽培地域は、その地域だけでは自立し得ない状態に陥ります。主食たるべき農産物(米、麦etc.)は他所から運んで来なければなりません。

 そして、栽培は、炎天の過酷な自然条件の下で行なわれ、これに従事する人達を酷使することになります。例えば、奴隷・苦力の導入、先住民の搾取・・・宗主国は賑わうものの、現地は大変です。

 Plantationとして知られている農作物は、綿花、コーヒー、ゴム、タバコ、サトウキビ・・・
 16世紀から19世紀にかけてのヨーロッパの繁栄は、このPlantationに基礎を置くもので、綿布、鉄砲、ビーズetc.を西アフリカのギニア湾岸へ輸出し、その対価として、黒人奴隷を獲得。大西洋を西へ渡って、南米、カリブ海諸島のPlantationに黒人奴隷を売り渡し、代わりに砂糖、タバコ、綿花をヨーロッパに持ち返るという三角貿易で利益を得ていました。

 飜って、人の歴史というものを考えると、桃源郷は、希れに客(まろうど)が訪れ、何らかの物流が成り立ったとしても、基本的には、自給自足で以て地域社会が営まれていたのではなかろうか、と想像されるところです。

 
 が、人の本性としては、新奇なもの、珍しいもの、効用・効果の優れたものに惹かれるものであることから、結局のところ、砂糖をはじめとする、ある意味それまで無くても実用的には困ることの無かった物を入手する為に齷齪し始め、貨幣経済に至り、結局、債権債務の罠に陥るようであります。
 人が対価を支払っても手に入れたい!と考え、行動を始めるところから、物〻交換から、貨幣経済へ移行し、そして、元〻は交換の媒介物であった貨幣そのものを操ることを専らとする者が優位に立つ資本主義へ至るもののようです。
 このような視点からすれば、商品経済、つまり自給自足を超えて取引がされる商品の登場は、遅かれ早かれ事を此処に、必然的に至らしめるもののようです。

 かくては、人としての振る舞いは、このような商品経済とどのような間合を置くべきか、間合を取るか・・・ということで以て、自らの立ち位置を自ら確保しない限り、商品経済の波に搦め捕られることは必定。
 それは、件の商品が形ある物であっても、近時、猛威を振い、市場を席巻しているサービス、情報の類いであっても同じことの模様。否、むしろこれらの方が量的な面では、各人にとっての適量なるものが一向に目には見えて来ず、ズルズルと深みに嵌ることになる様子・・・

 昨今のネット依存の現象は、物ならば適量が見え易いものの、情報、ソフトであれば、それがより見え辛いことに由来するのでは・・・との漸くの気付き・・・そこで、対策としては、かくては、これらの世界の外に、何とか自らの立脚点、立ち位置を確保せねば、巻き込まれ右往左往!神を立てるか!無批判に他者の託言に身を委せるか・・・ともかく自らの足許をどうするのか?
 
 小乗仏教の出家者は、金銭に触れないとして、傍らの侍者が扱うとの由。
 

2019年9月20日金曜日

弁護士らしい話し(其の35)

 北関東で、ベトナム人の実習生が老夫婦を死傷させたかのような報道がされています。 
「ベトナム」「実習生」という言葉を聞くと、何とも早、不幸な事件である、と大いに心が痛むところです。  昭和1516(194041)年の仏印進駐では、大変な迷惑を掛け、また、195575年のベトナム戦争では、甚大な災厄を経験した国であり、その人〻。
 勿論、今回の犯人とされている人は、その後の世代の人であることは間違いのないところ。
 それでも、親日的であり、勤勉と聞いている若者がこのような事件に関係したとされていることは、大いに心の痛むところです。
 そして、法律家としては、その人の我が国における在留資格が実習生ということを聞くと、この実習生制度の危うさが又しても露呈したケースか、と嘆息せざるを得ないところ。
 外国の人達に、我が国内で働いて貰う制度としては、古くは、研修生。次に、実習生。そして、昨年12月の法改正にて、漸く事実に即した制度となり、今春から、「特定技能」1号、2号というものが開始しました。

(「入管法」)
 入管法「出入国管理及び難民認定法」は、昭和26(1951)年に政令319号として制定されて以来(制定時では、「政令」であったが、昭和27年4月28日以降は法律としての効力を有するように)、昨年12月の改正までに60余回の改正を経ています。
 これら数多の改正の中でも、昭和57(1982)年以降は、難民条約・難民議定書への加入に伴い、難民認定業務を法務省入国管理局が担当することとなり、名称が只今の「出入国管理及び難民認定法」に改められました。
 そして、昨年12月には、在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」が新たに設けられ、4月から施行されています。

 事此処に至るまでには、制定以降68ヶ年を数える中、平成10(1998)年以降の近〻20ヶ年の間に計30回余の法改正が立て続けに行なわれ続けていることが極めて特徴的です。
 文字通り、只今現在を生き、ダイナミックに人〻を規律し、特に、外国人と外国人に関わる人〻にとって、文字通り生きているルールとして存在しています

(外国人労働者)
 昭和の時代(~1989年)においては、外国人労働者という言葉遣い自体珍しいものであったように記憶しています。つまり、外国人であって、日本で働いている人というものは、それなりの背景事情の下でのことと概ね考えられていました。
 ところが、平成の時代(19892019年)に入って、労働者として我が国に入国する人達が加速度的に急増してきました。外国人労働者は、希有なものではなくなりました。

(「在留資格」と「活動」と「身分又は地位」)
 そして、法令の規定振りとしては、平成に入って、「在留資格制度の意義と機能」を明確化し、どのような在留資格をもって在留する外国人が我が国(「本邦」と表現)において、どのような活動を行なうことが出来るか、ということを、その「別表第一」において具体的に規定するようになりました。
「在留資格」の取得、そして、その「在留資格」に基づいて本邦において行うことができる「活動」の範囲・内容が具体的に定められています。
 一方、「別表第二」では、「本邦において有する身分又は地位」という表現が「活動」に変わって用いられています。

(在留資格「技能実習」)
 1993(平成5)年以来、在留する外国人が報酬を伴う(否、むしろ、それを目的とする)「技能実習」に従事し、働くということが広く行なわれて来ています。
 が、その実態としては、劣悪な労働環境に晒されていると問題が指摘されてもいます。

 制度的沿革としては、海外進出した我が国の企業が現地社員を招聘したことから始まるようで、1981(昭和56)年に、「研修」との在留資格が設けられました。
 その後、「研修」を経た者を対象に、1993(平成5)年からは、「特定活動」との在留資格を以ての技能実習が始められ、その後の入管法の改正(平成21年法79号)において、改めて「技能実習」という在留資格が設けられました。つまり、この間は、「特定活動」の在留資格で以て、「研修」後の技能実習が行なわれて来ていた訳です。そして、平成21(2009)年の法改正後、翌20(2010)年から在留資格としての「技能実習」が登場しました。

(国際的な非難)
 技能実習という制度発足からは、四半世紀が経過していますが、この間、国連人権委員会の専門家からは、2009年時点で、「研修生や技能実習生制度内での虐待があること。これらは本来、一部アジア諸国への技能や技術の移転という善意の目的を備えた奨励すべき制度であるにもかかわらず、人身取引に相当するような条件での搾取的な低賃金労働に対する需要を刺激しているケースも多く見られる」、2010年時点で、「研修・技能実習制度は、往〻にして研修生・技能実習生の心身の健康、身体的尊厳、表現・移動の自由などの権利侵害となるような条件の下、搾取的で安価な労働力を供給し、奴隷的状態にまで発展している場合さえある。このような制度を廃止し、雇用制度に変更すべきである」との指摘を受けて来ています。

(在留資格「特定技能」)
 そして、昨年に、これらを改善するべく、「研修」とか、「技能実習」とかではなく、正規に労働者としての外国人を受け容れるという趣旨の下、「特定技能」という在留資格が法改正によって新たに登場しました。
 これは正面切って労働者の入国を受け容れたものです。

(まとめ)
 我が国の入国管理は、外国人が海外からやって来て、一定期間滞在した後は、又海外へ帰って行く・・・ということを想定したシステムで以て長年営まれて来たように思われます。
 勿論、その外国人が日本人になる、帰化という手続は、国籍法は認められて来ています。
 帰化というのは、英語では、Naturalizationと表現します。

 一方、明治以降、日本人が海外へ出て行って、其処に定住する、移民については、英語では、海外へ出向くのを、Emigration、海外から入って来るのは、Immigrationと表現されますが、前者が専らのテーマであって、後者については、戦後昭和26年の出入国管理法を見ても、基本的には想定されていなかったのではないか・・・という気がします。
 これについては、早晩戻る、帰国することを前提にしか、外国人を受容して来ず、また、その後、研修生とか、実習生とか、その身分が安定しているとは言い難い「在留資格」しか、我が国で働く人達については、認めて来てはいませんでした。

 これについて、昨年末の法改正、4月1日の施行ということで、「特定技能」という「在留資格」が新たに設定され、早晩、我が国に永続的に定着する、つまり帰国することの無い労働者の受け容れに至ることになりました。
 これを以て、我が国は、移民を受け容れるようになったと評しても、強ち過言ではないでしょう。