2017年3月22日水曜日

弁護士らしくない話し(其の21)

インドネシアに行ってきました(続)
 インドネシアには、世界最多のイスラム教徒がいます。島嶼国家(もっとも、island country:島嶼国というのは、人口が少ない、国土が狭い、大陸から離れている、一人当たりの国民所得が低い、という国連の基準があったとするようです。)(-nesiaというのは島嶼国を指す、という言い方もされます。PolynesiaMelanesiaMicronesiaと)です。
 多民族国家で700を超える民族で構成されており、言語は300を超えるようです。
 そして、古くはポルトガル人が入り、1602年と言いますから、関ケ原の合戦の頃から、オランダの植民地とされ、爾来350年間、1949年に漸く独立を果たしました。
 独立を果たして、初代大統領には、スカルノ、副大統領にはハッタが就きましたが、ハッタは、間もなくスカルノとは袖を分かったようです。


 首都ジャカルタには、1000万人を超える人達が住んでいます。
 独立後、ローマ字表記のインドネシア語が国語として定められました。
 言語としては、基本的には、マレーシアのマライ語と同じとか。
 オーストロネシア語族に属する。


 天文12(1543)年に種子島に漂着したポルトガル船が鉄砲を伝えたという史実がありますが、このポルトガル船は、どこから日本へ来たのか?
 Batavia バタヴィアから出航した、とのこと。
 この地は、現在のジャカルタです。もっとも、この言葉の元々の意味は、「川と川の間の島の住民」で「オランダ語人」を指すとの由。
 東南アジアの国々の中で、その首都を訪れるツァーが見当たらないのは、フィリピンのマニラと、インドネシアのジャカルタの2ツ。前者のセブ島、後者のバリ島のように顕著ではありません。
 とは言え、これらの2ツのダイナミズム、躍動感は、何れも有名な大交通渋滞で知られています。


 今回の私の旅は、ジャカルタ経由ジョグジャカルタであって、その戻りの便の際、半日ジャカルタで過ごすことになり、空港からは南東へ約25㎞離れている首都ジャカルタを目指したという次第。
 英語は、殆ど通じない、と予め脅され、ならば、と運転手に示す行き先きメモを俄かに準備。
 それでも、最初、空港から市内中心部へ向かう際は、安心な定番のブルーバードのタクシーをその専用乗り場で番号票を出力して。次に、市内でも、流しのブルーバードを利用。その後、バタヴィア広場の近くから空港へ向かう際には、Airport Taxiと表示した流しに乗ったところ、これがメータをつけているものの、メータを倒さない、ネゴシエーション・タクシー。


 インドネシアの通貨ルピアは、100ルピアが1円弱、つまり100円は1万ルピア、1000円は10万ルピア。
 そこで、英語で数字の話しをすると、100×1000hundred×thousandこのhundredの辺りを言い争う破目に。
 件の運転手は、two hundredを要求し、一度は、空港から市内までブルーバードの上品なタクシーで走ったときは、14万ルピア(one hundred forty)しか払っていないことから、「mahale(高い)」と難じ。結局、16万ルピアを支払って、サッサッと下車。
 日本風に翻訳すれば、2000円弱か、1500円弱かのような500円弱の攻防。

2017年3月15日水曜日

弁護士らしくない話し(其の20)

坂東三十三ヶ所の結願
 遡ること12年前の5月に開始した坂東三十三ヶ所観音霊場巡りを3月に完了、結願。
 鎌倉の杉本寺を振り出しに、都心の第13番金龍山浅草寺を経て、北西は、第16番水澤寺、最北は、第21番八溝山日輪寺、東端は、犬吠崎近くの第27番円福寺、南端は、第33番補陀洛山那古寺。
 実質、丸15日間を要しました。
 神奈川、埼玉、東京、群馬、栃木、茨城、千葉と関東を巡りました。
 このような巡拝に出掛けなければ、恐らく一生訪れる機会が無いような、北関東の各地を巡ることが出来ました。

 観音信仰は、妙法蓮華経の「観世音菩薩普門品」に由来するとのことですが、私には、般若心経の「観自在菩薩」の方に親しみを覚え、摩訶般若波羅蜜多心経を唱えることを専らとしておりました。

 改めて振り返ると、平成17(2005)年5月に始めたものの、平成21(2009)年~26(2014)年の丸6年間は中断。結局、出掛けたのは、平成17(2005)年、19(2007)年、20(2008)年、27(2015)年、28(2016)年、29(2017)年の6ヶ年、7シーズンということでした。
 鎌倉市内こそ徒歩のみで巡りましたが、その後は、駅から、バス停から、そして、果ては、レンタカーで走るという為体。
 それでも関東一円を楽しく訪れることが出来ました。
 観音霊場三十三ヶ所なる設定は、観世音菩薩が衆生の救済の為に、その身を三十三身に変現させるとの由来。
 極楽往生の為に資するかどうかはともかく、只管霊場、札所を訪ね、巡るというのは、それなりに細かな日常を忘れ、自己目的的に振る舞うということで面白いものです。

 次には、秩父三十三ヶ所を目指すべきか、それとも信濃の善光寺、或は、北向観音を目指すべきか・・・
 それとも四国八十八ヶ所のうち、阿波に次いで、土佐一国のみを巡ることにするか・・・

2017年3月7日火曜日

弁護士らしくない話し(其の19)


インドネシアに行きました

 インドネシアのジョグジャカルタへ行ってきました。
 世界遺産の仏教遺跡ボロヴドゥールの夕映えを堪能しました。次は、是非その朝焼けを体験したいと思っています。

 ところで、今回の旅行は、孤児院への支援というテーマでした。3ヶ所の施設を回って、至って細やかですが、それなりに精一杯の慰問(?)をさせて貰いました。
 その帰りのバスの中で、自らの来し方に思いを至し、既に亡くなっている両親のことをしみじみと思い出していました。父母の恩ということを今更乍らに思い至りました。
 人生の砂時計の砂は、2/3以上が既に下に落ちています。そのような時になって、漸く、文字通りしみじみと父母のことを思い起こしました。

 インドネシアは、東南アジアの大国であり、世界一のムスリムの国です。オランダからの独立には、日本が手を貸したとも言われ、ODAでは常に最大の相手国でした。とは言え、首都ジャカルタは、1000万人以上の大都市で、その旧名は、バタビア。これは、古くは、種子島に鉄砲を伝えたポルトガル船、これより近くは、長崎の出島商館に人を派遣していたオランダ、そして、先の大戦では、軍事占領をしたというところ。
 文字通り我が国の長い歴史の中で極めて枢要な地位を占めている土地柄。

 その地の孤児院を訪れ、初めて父母の事共をしみじみ思い出し、自らのこれまでの至ら無さを深く深く反省するという体験をしました。
 何とも早、纏りの無い話しですが、日常を遠く離れ、日々の慌しさとも距離を置くことによって、改めて心底から自らを省ることが出来ることに、漸く気付いた新鮮さです。
 孤児として人生をスタートするということは、文字通りハードな人生であり、恐らく想像を絶する厳しいものがあるのだろうと思われます。
 自らを省みて、恥入ることなく、胸を張れるように、改めて日々努めるべきことを、甚だ平々凡々乍ら、漸う思い至りました。
 また、大阪にも孤児も、孤児院も有る筈ですが、距離を置いて見ることが出来なければ、そのハードさに打ちのめされ、これらを直視し難い弱さが自らの内に有ることにも、改めて気付かされました。