2015年7月21日火曜日

弁護士らしくない話し(其の8)

長崎街道について
 豊前・小倉の常盤橋(後代には、門司の大里)から、肥前・長崎に至る脇街道(「五街道」に次ぐとか)であって、25宿、57里(約224㎞)。
 九州の諸大名の参勤交代や長崎奉行・西国筋郡代の往来、オランダ商館長の参府の経路。

 常盤橋の起点から筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と言われ、精確には、豊前街道(福岡県北九州市)、筑前街道(飯塚市)、肥前街道(佐賀県筑紫野市)と分けられるものの、「黒崎」「木屋瀬(こやのせ)」「飯塚」「内野」「山家(やまえ)」「原田(はるだ)」の6ツの宿場があったのですが、この木屋瀬宿、飯塚宿、内野宿を六月下旬に訪れました。
 筑豊電鉄木屋瀬駅からは徒歩5分、JR筑前植木駅からは20分。小倉からは車で小一時間。

 木屋瀬宿は、字義の通り、遠賀川を利用して、上流の日田から下流の小倉へ木材を運ぶ要衝として栄え、明治になっては、筑豊炭田の石炭運搬でも繁華であったようです。
 内野宿は、真っ直ぐ西へ山越えをすると太宰府に至る位置にありますが、南西へ長崎街道を辿ると、面白い表現ですが、九州の箱根、道が険しいという譬えでしょう、冷水峠に至り、これを越えると、筑前・筑後、豊前の三国の境に至り、筑紫野市の平野に至ります。
 これら長崎街道沿いに宿場を今一度盛り立てようとしている人達は、何れもリタイア世代、年金世代であって、千葉から、東京から戻ったという人達でしたが、その次の世代は、その故郷は東京近郊ということになるから、顧みられないであろうと述べられていたのが、印象的でした。

 この長崎街道は、竜馬も、シーボルトも、ケンペルも辿ったところであり、是非完歩を目指し度いと思っています。


 ところで、実は、小倉の街中に宿泊したのですが、その隣りに、「無法松の碑」が立てられており、改めて「小倉生まれで玄海育ち・・・」という歌詞が腑に落ちました。

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